①鳥羽市・答志島

◎暮らしを支える絆の島


 人がすれ違えるほどの幅しかない路地を挟んで家々の玄関や窓が向き合っている。二階の部屋も、互いに手を伸ばせば届きそうだ。狭い路地を、乳母車のような小荷物を運ぶ「じんじろ車」
が、ガタゴトと音をたてながらのんびりと通っていった。迷路の一角に古めかしい西泉の共同井戸がある。洗濯の、そして井戸端会議の場でもある。入り組んだ路地を歩いているうちに、どこ
にいるのか分からなくなってしまった。
 答志島の答志地区は鳥羽港・佐田浜から定期船で20分程で着く。志摩半島と渥美半島を結ぶ伊勢湾口に四つの島(有人)がある。大きい順に答志島、菅島、坂手島、そして三島由紀夫の小
説「潮騒」の舞台となった神島である。
 朝日が最も美しく見える辺りにあるホテルに旅装を解いた。神島のはるか遠く渥美半島・伊良湖岬がかすんで見えた。海の恵みに包まれた島は旅人を優しく癒すが、離島の悩みもある。
 答志島は周囲26・3㌔。答志、和具浦、桃取の三つの集落がある漁業の島。この島も人口減は止まらないが、過疎の雰囲気があまりない。漁場に恵まれ、好調な水揚げがあるからだが、人々の共同体意識が強く、この絆が、とりわけ答志地区の元気さを引き出しているのかもしれない。
 島の収入の大半を占める水産業は、年間を通じて営まれる小型底引き網、刺し網、一本釣り、魚類養殖などで生産総額が23億4000万円(平成14年)に上る。イセエビ、カレイ、タイ、スズキ
、サワラ、ハマチ、フグなど高級魚は、何でもござれだ。中でも答志漁港の水揚げは市内最大を誇る。
 ただ、島の観光はあまり勢いがない。そこで、主力の漁業と連携した活性化を目指すが、あまりいい知恵が浮かばないという。そんな沈滞を打ち破ろうと、一昨年6月、漁協や町内会など民
間が中心となってモデル的に始めたのが「島の旅社」というボランティア組織である。島の自然や歴史文化を損なわずに活用、離島のハンディを逆手に取った活性化を目指している。
事務局の山本加奈子さんは大阪・交野の出身、結婚して島に住み着いた。
 「あるがままの物を使って島の大切さを共有したい」と言う。島の旅社は三重大学と協力、地元の食材を使って旅行者をもてなす健康づくりの離島ツアーをこれまで2回催した。昨年10月には「島・食の文化祭」を開催、島の家庭料理を多くの訪問客に供した。
 地元にあるせっかくの〝資源〟を見過ごしていることに気づいた山本さんは、埋もれた資源として磯場に息づく生命を桃取漁港沖の浮島に見つけ、今年4月から「浮島自然水族館」としてオープンする。月2回、大潮のとき現れる磯場で海との触れ合いを子どもたちに経験させ、自然の大切さを教えたいと言った。大人よりも子どもに的を当てた古里の再発見である。
 答志島には独特のコミュニティーを形成する「寝屋子制度」がある。一定の年齢に達した男子が親元を離れ、地区で信望のある別の「親」の世話になり、食事や学校以外の時間を寝屋親の家で過ごす。「親子」は、何気ない会話を続けることで絆を深める。
 鳥羽市議会の前議長、山下伴郎さん(64)は平成2年から10年間7人の寝屋親だった。「漁師は助け合わないと生きていけない」(山下さん)。寝屋子制度の歴史的由来は定かでないが、海を
活躍の場とした中世期の水軍(海賊)や庶民の生活・仕事としての漁業と無縁ではない。答志島は九鬼水軍の本拠地でもあった。
 夫婦で漁をする「夫婦舟」もよく知られているし、今でも盛んな海女漁は伊勢志摩地方のロマンを思わせる。ここには家族、地域の強い絆が珍しいほどに残っているのだ。旧暦1月17日からの八幡祭りは、寝屋子育ちの男衆が島の路地を走り回る晴れの舞台である。
 その元気な若者の「嫁探し」という切実な問題に漁協の努力が実って、平成8年から46組の縁結びができた。大阪、名古屋出身のお嫁さんたちだ。
 鳥羽市の離島人口は昨年9月末で4855人。うち、65歳以上の高齢者が占める高齢化率は32・7%。離島の高齢化率は高いが、答志地区は26・3%と本土市域とほぼ同じだ。
 島には本土との架橋という夢がある。三重県離島振興計画も、その必要性を明記している。架橋を夢見る島人の心は熱い。

(2006年新年号)