④尾鷲市

◎「うるわし」の町


「遠いところによくいらっしゃいました」と伊藤允久市長は言った。
 神奈川県鎌倉市の自宅から東海道新幹線、紀勢線特急と乗り継いで尾鷲市に着いたのは6時間半の電車の旅だった。
 でっぷりした市長が気遣ってくれたのもそのせいだろう。しかし、着くまでを沿線の町並み、自然景観を楽しむことができたと思えば何ともない。
 ましてや、目的地は自然・文化・歴史が評価されて世界遺産に登録された「熊野古道参詣の道」を構成する尾鷲市である。スローライフの片鱗でも実感できればと思っての取材行なのだから

 紀勢線の特急が紀伊長島の駅に近づいた辺りから、周囲の様子が一変した。深山が圧倒的な迫力で次々と迫ってくる。
 単に山々が立ちふさがっているというのではない。古の伊勢神宮から熊野に通ずる伊勢路に潜む「信仰・祈り」が、今でも蔽っているのかもしれない。
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 尾鷲市は人口2万3772人(平成15年)。熊野灘は豊かな漁業資源をもたらし、漁業基地の名をほしいままにした。林業も良質の尾鷲ヒノキは関東大震災の時も、近年では阪神・淡路大
震災の復興・復旧に大きな役割を果たした。
 だが、この漁業・林業に往時の勢いがない。
 「北勢」地区の活況とは逆に、尾鷲市を含む東紀州は沈滞からの脱却の決め手が見つからない。
 そんな尾鷲市の努力が実り、ようやく光明を見出したのが「海洋深層水」である。大阪に本拠を持つ企業の参画で事業が始まった。
 賀田湾の三木崎の沖合、水深400㍍の海底の取水口から古江町までの11㌔を送水パイプで結んだ。
 取水量は日量2900㌧。深層水プラントとしては全国13番目の最後発で、この8月から商品出荷が始まったばかりだが、関西、中京圏の大市場がある。既に、首都圏への布石もできたと
いう。
 尾鷲市が深層水に目を付けたのは平成8年だが、事業の見通しは暗かった。
 これを巻き返したのが同12年に市長に当選した伊藤氏だ。
 伊藤市長は言う。
 「PFI事業が駄目なので国の補助事業にしてもらった。地域の活性化事業になる。選挙の時の私の公約でもあった」
 それで事業の見通しがつき、話が具体的になった。
 東紀州地域では、尾鷲市は隣の熊野市とともに「熊野古道」の本場である。
 観光スポットに恵まれた和歌山県に目が向きがちだが、伊勢路の馬越峠や八鬼山越えの石畳や曽根次郎坂太郎にある五輪の塔、猪垣、関所跡などは、手付かず古道の歴史を連想させるに十分
だ。
 この潜在する魅力を知ってもらい活用しようと建設を急いでいるのが、来訪者との交流、研修が手軽にできる「県立熊野古道センター」である。
 来年2月に完成するセンターは、13・5㌢角のヒノキ6000本を使っている。用材は、県内27産地から切り出した。
 外観は、東京・永田町の首相官邸を木造にした感じと思えばいい。施設の周りも芝生、植栽で周囲の自然にあわせるよう工夫されている。
 海洋深層水は、その特性を利用して食品、医療、健康分野での産業応用との組み合わせで新たな産業創出が可能だ。高級魚クエの養殖は軌道に乗った。
 これに「古道センター」の魅力が加われば、尾鷲市の戦略は具体的に動き出す。
 深層水のアクアステーションのある賀田湾と古道センターの尾鷲湾を一周した。
 複雑に入り込んだ湾に点在する漁師の集落は、日本の原風景と映る。漁業の現実は厳しいが、「豊かさ」を感じさせる雰囲気は、海と山が織り成す自然のすばらしさのためかもしれない。
 「うるわしの町」は「美しの町」でもあり、「愛しの町」「麗しの町」と書き換えることができる。
 時間距離では計れない、貴重なものが潜んでいる。自然は壮大なテーマパークである。
 尾鷲市新生の宣言は「海の碧、山の緑、あふれる情熱」を基にした「おわせ」を市像とする。尾鷲市の良さを見つめ直し、地元再発見に努めてはどうだろうか。

(2006年秋季号)