コラム【論壇・東奥日報】・明日を読む

(48)―「ポスト三位一体改革」

◎分権改革の態勢確立を急げ

 最終年度を迎えた税財政の三位一体改革は今後どうなるのか、自治体関係者は頭が痛いにちがいない。
 小泉内閣の閉幕と併せて「終わり」という見方もあれば、一方で、曲がりなりにも国と地方が対等の立場で物を言い合った事実を踏まえて、「第二期改革」で、さらなる前進を求めるべきだと主張する声もある。
 前者は、小泉首相が約束した三位一体改革が四兆円の補助金廃止・削減、三兆円の税源移譲を一応、達成したと肯定的にとらえたものだ。
ところが後者は全く逆だ。
 不完全燃焼の分権改革は、補助金の交付金化や児童扶養手当、国民健康保険などの国の負担率引き下げに見られるように、権限と税源が地方に移譲されたのはごくわずかだ。加えて地方が命綱と見る地方交付税は、自治体が「予算編成が出来ない」と悲鳴を上げるほど削られた。三年間で五兆円を超える。
 こんなことで三位一体改革の幕が下ろされたのでは、分権改革は画餅に帰す。地方交付税を真水≠フ地方財源として自治体が共有し、二〇〇〇年施行の地方分権整備法(一括法)に代わる新しい地方分権推進法を制定する。
 そのためにも、せっかくできた「国と地方の協議の場」を法的裏づけも持たせた正式な組織にする。
 地方団体が描いたこの戦略は、識者・専門家が加わった幾つもの委員会が絞り出した知恵だったのだが、「骨太の方針2006」には必ずしも取り入れられていない。
確かに骨太の方針に、分権に関する「関係法令の見直し」「地方交付税の現行法定率の堅持」などが盛り込まれた。
 竹中総務相は、新三位一体改革の基礎ができたと言うが、八百三十兆円もの国と地方の借金をどうするのか。小泉政権の財政健全化路線でいう、プライマリーバランスの赤字解消の歳出・歳入一体改革は、地方は無縁どころか大いに関係がある。
 歳出・歳入改革は、財政改革が分権より一足先に第二期改革≠ノ入ったことを意味する。
 骨太の方針が、財源論より国と地方の役割分担を問い直すことを優先したのは、税財源をめぐる攻防が一段落したこともあるが、本音では「疲れてしまって双方に厭戦(えんせん)気分がある」からだという。
 財務省と総務省、これに地方六団体が加わって対決と腹の探り合いをしたのが、この三年間だ。六団体の盟主は全国知事会である。梶原拓前会長は「闘う知事会」を掲げ、真正面から国に攻め込んだ。梶原氏を筆頭に、改革派知事が連携して分権世論の醸成に走り回った。
梶原氏の後継の麻生渡会長(福岡県知事)は就任に際して「行動し成果を勝ち取る」知事会を掲げ、六団体の調整役、国とは協調路線をとった。
 今月十二、十三の両日、松江市で開かれた全国知事会儀は、内部不統一の実態をさらけ出してしまった。議論百出はいい。だが、議論が錯綜して交通整理≠ェできない様相を呈した感は否めない。
 三位一体改革に続く第二期分権改革の実現を目指すことは確認したが、現行改革で財政が危機的状況に追い込まれているとか、改革の成果をあまり求めるべきではないなど、腰の引けた発言が少なくなかった。
 地方交付税の大幅カットは深刻だが、交付税に頼ることを前提にした議論への疑問も出た。
 知事会内には守旧派≠ェ勢力を盛り返し、推進派の力が衰えたと見る知事もいる。「闘う知事会」がすっかり色あせたと言われても仕方がないだろう。
 多くの課題は「小泉後」に持ち越される。ポスト小泉に分権改革の精神が引き継がれればいいが、それも地方の出方次第だ。
 分権改革は、新しい国の形を問うものだ。そのためには国民の関心を引き付けるものでなければならない。
 各論に入った分権改革は、公共事業に見られるように自治体間の利害がぶつかる難しい時期を迎えている。全体が結束できる問題は限られてくるだろう。地方団体の態勢の立て直し、間断なき連携、そして国民との対話が一段と求められているのである。(2006年7月30日付朝刊)