(47)―「普天間移設合意」

◎政府の姿勢が真に問われる

 沖縄県の普天間飛行場(宜野湾市)を米軍キャンプ・シュワブのある名護市辺野古崎へ移設することで、額賀福志郎防衛庁長官と島袋吉和名護市長が合意した。共同記者会見で額賀長官は「名護市が合意してくれたのは画期的だ」と言えば、島袋市長も政府の配慮を「高く評価する」と応えた。両者の息はぴったりで、在日米軍再編の焦点である普天間移設の突破口が開いた喜びを印象付けた。
 合意によると、米軍機が集落の上空を飛行しないよう離着陸用に二本の滑走路を「V字形」に造る。名護市が譲れないとした住民生活の安全が担保されるというわけだ。
 二人が普天間移設問題を話し合ったのは計六回だが、七日は政治日程や米軍再編の先行きをにらんだ土壇場の交渉だった。
 政府にとっては米国の対日信頼感の維持、市にとっては住民の安全と経済振興策の保証が重要である。政府は奇策とも言える滑走路の二本化で名護市を説得した。しかし、名護市には昨年十月の中間報告、つまり沿岸案を決めた日米合意を優先する政府に押し切られる不安があった。加えて、政府との関係が悪化すると経済振興の協力が望めなくなるという事情があった。市長は現実的な選択をしたのである。
 しかし、これで普天間問題の見通しがついたわけではない。滑走路建設には海面の埋め立てが不可欠で、その権限は稲嶺恵一知事にある。知事は合意の翌日、額賀長官に容認できないと明言した。
 稲嶺知事が強硬な態度を取るのは、日米特別行動委員会(SACO)合意に基づく一九九九年の苦渋の選択があるからだ。
 この年、知事は普天間飛行場の移設先として辺野古崎沖の海を埋め立てる海上代替施設を了承した。ただし、県民の基地感情に配慮して基地の固定化につながらない「十五年の使用期限」と、将来を見据えた民間の利用も可能な軍民共用空港とするを条件として、名護市とともに受け入れた経緯がある。
 ところが、中間報告に盛られた沿岸案は、かつて決定した海上代替施設とは全く異質で、沖縄との約束考慮されていないと映ったからだ。
 政府提案を知事が拒否し、市長が受け入れる沖縄のねじれ現象は、基地問題の複雑さの表れだ。結果的に政府は県と市の分断に成功した。
 先行き不透明感は否めないが、政府は普天間移設の進展を受けて山口県岩国市や神奈川県の座間、相模原両市など関係自治体に対する説得工作を強める。
 特に、稲嶺知事に対する働き掛けは、海兵隊撤退や沖縄中南部の米軍基地の返還にとどまらず、米軍再編の成否が掛かっているだけに一段と活発になるだろう。知事はかつてない苦渋の選択を迫られるかもしれない。
 米軍再編の最終報告は今月中にまとまる運びだ。だが、最終報告は再編問題の実質的なスタートと認識すべきだ。政府の内政、外交姿勢が真に問われるのは間違いない。(2006年4月11日付)