(23)−「道路公団新総裁」

◎近藤氏の気概を無にするな

 日本道路公団の新総裁に前参院議員の近藤剛氏の就任が決まった。二〇〇一年七月の参院選比例区に財界代表として自民党から立候補、当選した。小泉純一郎首相の要請を受諾、議員を辞職しての就任だ。大手商社の伊藤忠出身で、国会議員としては自民党の国家戦略本部の実動部隊の一人として改革実現の提言を作ったメンバーの一人でもある。経営戦略を託す人物としては評価していい。近藤総裁の下で新経営陣が公団改革に当たることになるが、改革の前途は生やさしくない。
 小泉首相や石原伸晃国土交通相が新総裁に民間経営者を就けようとしたのは、公団の不透明な体質を民間の常識で改革、民営化に弾みをつけるためだ。それ故、日本経団連など財界団体を通じて複数の経済人に折衝したが、藤井治芳前総裁が解任に強く反発、訴訟も辞さない構えを示すなど事態が泥沼化したため次々と固辞され、やむなく旧建設事務次官など官僚OBの名前も浮上した。
 ある有力経済人は後任総裁について「改革の先行きは分からないし、政界の支援も保証の限りでない。あえて火中のクリを拾えと言われても困る」と語っていた。石原国交相の選考工作も壁にぶつかった。
 近藤新総裁は伊藤忠時代、ワシントン事務所長や政治経済研究所長など調査畑を中心に歩んだ国際情勢の分析の専門家だ。中曽根康弘元首相による八〇年代の改革の参謀役を務めた瀬島龍三氏(元伊藤忠会長)の秘書も経験している。二〇〇一年九月の米中枢同時テロが発生したときは、ホワイトハウスで米政府高官と会っていた。
 近藤氏の説得は首相自らが乗りだした。民間の経営経験、瀬島氏の秘書に加えて党戦略本部委員。経済人登用の道を断たれた首相にとって、近藤氏は「経営を知る」最後の人物だった。
 受諾に当たって近藤氏は「首相があれだけ熱心に就任を要請するのはただごとではない。国会議員として断れなかった」と語っている。中曽根改革を支えた瀬島氏の薫陶を受けた責任がそうさせたのかもしれない。
 だが、近藤氏を待ち受ける壁は厚い。来年の通常国会に提出される民営化法案が新総裁の下で真の改革を目指す内容となるのか。法案策定作業は国交省が当たっている。民営化推進委員会は政府、与党協議の前に法案を同委に示すよう勧告しているが、政府は消極的だ。
 近藤氏は道路公団の意識改革を挙げた。誇りを持ち、一体感を持って働ける組織を目指すという。近藤氏の気概は評価できるが、それを支える政治的支援がどうなるかも今後の動きを見るしかない。
 政と民の中間で決着した道路公団総裁人事だが、公団改革の「船頭」が決まっただけである。首相は四公団の約四十兆円に及ぶ債務の処理どうするのか。また、高速道路整備計画のうち赤字路線とされる未完成部分の建設の取り扱いを明確に示し、説明する責任もある。(2003年11月18日)