ベトナム戦争の激化で、極東最大の米空軍基地の沖縄・嘉手納基地から戦略爆撃機B-52が連日飛び立ち、北ベトナムへの空爆を続けた。そのB-52が離陸に失敗、爆発炎上した。昭和43年11月19日の未明に事故は起きた。写真は一夜明けた事故現場(村民の重軽傷者16人,校舎、住宅等365件の被害)=嘉手納町ホームページ。

【沖縄の女子中生徒暴行事件】

◎米兵釈放で腰砕けになるな

(注)2月14日の「沖縄評論・視点」(8)「女子中生暴行事件」参照

 沖縄の米海兵隊2等軍曹による女子中学生暴行事件は、被害者が告訴を取り下げたため米兵は釈放された。
 告訴の取り下げは「これ以上かかわりたくない」というものだが、被害者の女子中生としては捜査が続く限り、嫌でも世間の注目が集まり、事件の悪夢がさらに膨らむことを断ち切りたいと考えたのだろう。
 米兵は「暴行」の容疑こそ否定していたが、自宅に連れて行ったり、車に乗せて連れまわし関係を迫った事実は認めている。米兵の身勝手な行動で傷つけられた少女の心を推し計れば、我慢できない悔しさを覚えたことは間違いない。
 しかし、これで事件が決着したわけではない。
 暴行事件の被害者の女性が訴えないで泣き寝入りしている事例は数え切れないほどあるという。事件が公になることで、事件の傷口がさらに広がる、いわゆる「2次被害」から身を守りたいからだ。

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米軍支配下にあった72年の本土復帰以前はもとより、復帰後も事件は許し難いほど起きた。特に、復帰前後のベトナム戦争が激化した時期は、沖縄に帰還した兵士による凶悪事件は後を絶たなかった。当時、沖縄に駐在していた私が経験した無秩序な状況は、怖いほどだった。
 今回の忌まわしい事件は、県民にとっては、13年前の女児暴行事件の悪夢が蘇る出来事だった。あの時の事件を思い起こすと、事件は刑法犯としてだけでなく、日米関係を揺るがす外交問題に発展し、沖縄の象徴的な基地問題の普天間飛行場返還の日米合意のきっかけとなった。
 事件は、前回とは違った意味で日米関係を問うている。
 事件後の日米両政府のこれまでにない積極的な対応は、日米同盟関係への懸念がそうさせるのだろう。特に、日本政府の反応に、それが顕著に表れている。
 冷戦崩壊後の米国の一極支配態勢が、泥沼化するイラク情勢や北朝鮮の核問題で揺らぎだしているのは明らかだ。日本政府はその米国を外交面での「保護膜」としているが、米政府は事件が日本の「変身に」つながることを懸念していることを忘れてはならない。
 米政府が畳み掛けるように求めてくる「同盟の証し」は、決して日本を手放さないという強い決意からだ。

 13年前の事件で、沖縄の反基地感情は、まさしく「島ぐるみ」だったし、米軍基地の強制使用を巡る代理署名訴訟は最高裁大法廷まで持ち込まれた。
 最終的に国の勝訴で終わったが、この間、村山富市、橋本龍太郎両内閣は沖縄との関係改善に翻弄され、日米安保体制が足元からぐらついた。
 橋本首相による「普天間返還」の取り付けは、普天間基地の移設先を巡って二転三転。結局、移設先として名護市辺野古岬に「V字型」滑走路を建設することで一応の合意をみたが、今なお、建設地点を海側にさらに移すかどうかで最終決着はできていない。

戦後50年という、沖縄県民が平和を問い直す節目の年に起きた女児暴行事件が記憶に新しいのは、米兵犯罪が今でも日常的に繰り返されているということだ。
 沖縄県民がこぞって「諸悪の根源」として見直しを求める日米地位協定は、米側の「善意」を期待した「好意的配慮」という形の運用改善がなされただけである。
 女子中生暴行事件の容疑者の米兵は、基地外に住んでいたため沖縄県警に逮捕された。政府は、「地位協定が事件捜査の壁になっているわけではない」と地位協定見直しと絡める意見に予防線を張っていた。
 確かに、今回の事件はそういう面はあった。だが、事件はいつも1次捜査権が日本側にあるわけではない。今回は被害者の訴えと県警の機敏な捜査で身柄を確保できただけと考えるべきで、今後も予想される事件が同じとは言えない。
 政府は、地位協定の見直しは時間がかかり、それよりも協定の「運用改善」で対応するのが現実的だと繰り返してきた。その考えは、今も変わらない。
 しかし、事件が起きるたびに米側が約束する、綱紀粛正や再発防止の学習プログラムでは済まなくなっているのは、今も米兵絡みの事件が起きていることを見れば明らかだ。

事件は、在日米軍再編、とりわけ普天間飛行場返還と切り離して考えることはできない。沖縄県は普天間移設の環境影響評価に前向きに対応する姿勢を示しているが、政府が予定する今月の調査開始は不透明になったと見たほうがいい。

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 米兵の犯罪に抗議・地位協定の改定を求める超党派の決議をした県議会だが、被害者の告訴取り下げで近く開かれる県民大会には保守陣営が参加しないという。もっともらしい理由を挙げているが、言わんとすることは選挙を控えて革新陣営を利する大会に加わりたくないということだ。
 基地問題の深刻さを根本的に解決しようと思うならば、米兵が釈放されたから態勢を緩めるのではなく、逆に基地の根源的な問題を日米両政府に突きつける島ぐるみの大会とすべきではないか。
 そうでなければ、個別の事件の解決で問題が処理されてしまい、継続的な問題としての説得力を持たないからである。保守県政ならば、より一層、自己主張をすべきなのに動こうとしないのは理解できない。
 国と地方自治体の関係を見ていると、国は自己都合に合わないような自治体の動きが表れると、決まって「お付き合いを考えさせてもらう」といった風の態度を見せて、地方の「再考」を促すことがある。沖縄と国との関係に、その典型を見ることができる。「基地」と「経済振興」を天秤にかけたアメとムチの施策がそれである。もっとも、そうさせた原因の一つは沖縄側にもある。
 事件は、沖縄という「鏡」に映し出された米軍基地の醜い姿である。それを忘れた現象面の対応だけでは、基地問題の解決は望むべくもない。(0838日)