沖縄・北谷町美浜のアメリカンビレッジ。基地返還跡地利用の成功例だ。若者に人気があり、昼夜の別なく賑わっている。暴行事件はこの地区の駐車場で起きた(北谷町ホームページから)

【女子中生暴行事件】

◎言葉ではない。具体策を示せ

 沖縄で米海兵隊兵士による女子暴行事件が起きた。
 誰もが「またか」と思ったに違いない。日本政府の閣僚でさえ「いいかげんにしろ」(高村外相)と言うくらいだから、よほど腹に据えかねたのだろう。反応が遅い福田首相でさえ不快感を表した。政府にとっては全く予期しない事件だった。
 日本政府はすぐさま、ドノバン
駐日米臨時代理大使を外務省に呼んで厳重抗議し、外務副大臣を沖縄に派遣するなど反応は確かに素早かった。本国から帰任したシーファー駐日米大使と在日米軍のライト司令官が仲井真弘多知事に会い謝罪した。これまでない米側の動きに事件の重大さを思い知らされる。

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 事件を重大視し、素早く行動したことは評価する。だが、にわかにそれを信じられないのは私だけではあるまい。
 13年前に起きた女子小学生暴行事件が、いかなる波紋を広げたか思い出すといい。「島ぐるみの怒り」「激怒」などと、通り一遍の言葉で言い表すことができないほど
沖縄県民の心を傷つけた。
 敗戦から50年。県民が「平和」をあらためて問い直すその年に事件は起きたのだ。
 事件当時、中国・北京では「世界女性会議」が開かれ、沖縄も含めて日本から大勢の代表団が参加し女性問題を話し合っていた。まさに孟子の「符節を合するが如し」で、沖縄の現実をさらけ出した。
 当時の自社連立の村山政権は、阪神淡路大震災への対応の危機管理のまずさもあって退陣、後継の橋本龍太郎内閣も事件の後始末に追われた。安保体制が足元から揺さぶられ、基地問題の象徴となっていた普天間飛行場の返還で日米両政府が合意し、日米行動特別委員会(SACO)がスタートしたのも事件がきっかけだった。
 
日米合意に双方の政治的思惑があったのは、その後の流れを見れば明らかだ。
 事件の再発防止は、常に肝心の日米地位協定に立ち入ることなしに、「運用改善」で済まされてきた。どんなに沖縄側が協定の見直しを求めても、である。日本政府の典型的な態度と言えるのは、事件後上京した沖縄県議会代表らに会った河野洋平外相(当時、現衆院議長)の、にべもない対応だった。
 台湾海峡や朝鮮半島情勢など東アジア情勢の緊張が高まっている中での普天間合意は、事件とは全く異質の日米安保体制の再定義の流れの中でなされたことを忘れてはならない。

今回の女子中学生暴行事件で日米両政府が間髪を容れず行動したのは、普天間飛行場の移設問題に水を差されたくない両国の考えがあってのこと。
 普天間問題は在日米軍再編を左右する重大な案件だ。名護市東海岸に予定する代替基地建設の前提となる環境影響評価(環境アセスメント)で、沖縄側がようやく前向きになりだした状況を壊したくない。日本政府の立場を明確に伝え、米国も深く謝罪の意を表すことで世論の鎮静化を図る――である。
 新聞もテレビも連日のように事件のその後を伝えている。だが、政府の言動から見えてくるのは「対米関係」への懸念だ。事件の再発を決して許さない確固たる態度が感じられない。地位協定の見直しについては、ほとんど言及していない。与党の公明党の幹事長が「事件の再発防止のため地位協定の見直しも含めて考えなければならないかもしれない」と遠回しな言い方で触れたにすぎない。
 人権を標榜し、自民党の足らざるところを補う政党なら、もっと積極的に発言してはどうか。
 米兵の凶悪犯罪について、米側の「好意的配慮」でしか対応できない現協定は、事件の再発防止や日本側の捜査権の確立につながるはずはない。

2000年の沖縄サミットで来日したクリントン米大統領(当時)は、米兵に「良き隣人たれ」と訓示した。在沖縄米軍は事件防止のための幾つかの研修カリキュラムを用意、実施しているが、ほとんど効果が表れていない。はっきり言えることは、再発防止や綱紀粛清で済まない時期にきているということだ。
 沖縄の基地問題が持ち上がるごとに、歴代内閣の閣僚は「沖縄県は何とかしてくれと言っている」と間接話法で米側に言い、その後で日米安保の重要性を言上している。それだと、聞く側の米国としては、後者に重点を置いて聞くのは当然だ。
 話の順序としては、「日米安保の重要性」を先に説くが、その後で「沖縄県の訴え」を日本政府の意思として言わなければ、米側には基地問題の深刻さは伝わらない。日本外交の貧弱さが、こんなことに表れているのである。
 米国という「保護膜」に包まれた日本外交の自立は、自らの意思を明確に相手に伝えることなしには生まれない。「日米関係がしっかりしていれば、ほかの国ともうまくいく」などと言ったリーダーもいたが、これなどは米国だけにくっ付いていれば外交は何とかなるという「盲目外交」であり、「鎖国外交」の最たるものだろう。

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 朝日新聞(14日付朝刊)によると、米軍三沢基地(青森県)の司令官が、沖縄の暴行事件に関連して各部隊指揮官らに「性的暴力は許されない」とメールやメモを送り、すべての米軍関係者に徹底するよう求めたという。
 記事は1段の短いものだが、三沢基地の反応は興味深い。
 というのは2000年秋、在日米海軍艦載機による一方的な夜間離着陸訓練(
NLP)に抗議する三沢市神奈川県大和市が、一時的ながら米軍との交流事業を中断、在日米海軍にねじ込んだ。当時の三沢市長は議会で、「米海軍の占領意識丸出し」と激しく批判している。米海軍は両市に謝罪した。

 沖縄県は復帰後、基地問題で何百件という抗議決議をし、米軍側に抗議している。ところが、米軍との交流事業が中断されたという話は、あまり聞かない。三沢市大和市の出方が米軍を譲歩させたのは、地元の「米軍のわがままを許さない」という強い意思表示である。
 犯罪を起こす米兵はごくわずで、大部分の兵士は県民と友好的な関係を保っているようだが、事件は日常的に起きている。凶悪事件が再び起きないよう米軍側が厳しい仕組みをつくらなければならないのは当たり前だ。
 そのためにも行政や民間も一時的であっても米軍と「絶交」する勇気を持つべきだ。それでこそ、米軍側の猛省と綱紀粛正が期待できる。
 政府も沖縄も言葉を超えた意思表示をする時ではないのか。

08214日)