【暴行事件県民大会】

◎沖縄は何故もっと怒らないのか

 集団自決をめぐる教科書検定問題、在日米軍再編に絡む普天間飛行場移設先の環境アセスメント、そして2月の米兵による女子中生暴行事件――沖縄の過去と現在が問われる問題が「万華鏡」のごとく私たちの目に映し出される。
 特に女性に対する暴行事件など米兵による凶悪犯罪の続発は、在日米軍が兵士の教育を徹底することを約束しても、その効果が全く表れていないことを浮き彫りにしている。

 米兵犯罪に泣かされる沖縄で、2月の暴行事件に抗議する県民大会が23日、事件現場に近い北谷町で開かれた。強い雨が降る中で行われた大会には雨合羽を被り、コウモリ傘を持った約6000人が参加(主催者発表)、米兵のあらゆる事件・事故に抗議する大会決議を採択した。
 大会規模だけで県民の気持ちを量れないが、超党派の開催を目指した大会から自民党県連が離脱し、仲井真弘多知事も参加を見送った。
 土砂降りの雨があったとはいえ、県民大会が予想の規模を大幅に下回ったのは、被害者が「これ以上事件を思い出したくない」と告訴を取り下げたことがあるようだ。
 「県民ぐるみ」の大会とはならなかった背景を検証しなければならない。
 政府は「大会を重く受け止める」とコメントした。だが、内閣官房、外務省、防衛省は大会規模が大きく膨らまなかったことに胸をなでおろしている。
 事件発生時にどんなに県民が怒りに顔をこわばらせ、日米両政府が右往左往しようとも、県民の怒りは長続きしないのではないか、と突き放した声が聞こえてくる。
 澱(おり)のように心の奥底にたまった怒りは大会参加者数のみで判断するのは適当でない。しかし、あの緊張した政府首脳や在日米大使館、在日米軍が解き放たれたように胸をなでおろした事実は否定できない。
 少なくとも日米両政府関係者にとって、事件は「済んでしまった」ことなのだろう。

 政府にとって、在日米軍再編を滞りなく進めることは至上命題である。
 そのために事件の波紋を最小限に抑えなければならないのは当然だ。それ故、「手続き」の失敗は許されない。
 
地元紙の沖縄タイムスの社説(24日付)が警告する「爆発寸前の県民の怒りといらだち」を日米両政府が感じ取っているか疑問である。
 もう1紙の琉球新報の同日付の社説は「残忍な事件や悲惨な事故で半世紀余にわたり、犠牲や泣き寝入りを強いられた人々の涙雨に見えて仕方がなかった」と強い雨に見舞われた当日の県民大会の雰囲気を伝えている。
 言葉を替えるなら、県民の「やり場のない怒り」がくぐもる大会だったのではないか。
 自民党県連は大会不参加の理由を「政治的に利用されるから」と言ったという。県議会議長も「議長としても、一県議としても参加できない」と説明したというから、40日前の事件発覚した時の驚きを忘れた思考停止としか言いようがない。
 被害者の告訴取り下げで、事件の重みが軽くなったわけではない。逆に、告訴の取り下げで、事件を告発する流れが強くなったと捉えるべきである。
 

 福田内閣の迷走ぶりを見れば、首相に解散権を行使する力があるかどうか別としても、総選挙は避けて通れない。東京・永田町は総選挙に向けて動き出しており、沖縄の選挙事情も大会不参加の遠因だったのだろう。
 個別の選挙事情は、どこにでもある。しかし、沖縄が直面する問題は、どこかで踏ん切りをつけないと、いつまでも意味のない保革のいがみ合いを続けることになる。
 結局、割りを食うのは県民である。政党が気付かないうちに県民の意識を分断していることを忘れてはならない。沖縄の本土復帰に先立つ国政参加選挙以来の世論の分裂である。

基地問題で基本的な立場が異なる保守陣営と革新陣営が手をつなぐことは、よほどのことがない限り期待できない。県議会が米兵事件を糾弾する決議を全会一致で採択することが当たり前となったことを前提にしてもである。
 沖縄側が意識しようとしまいと、日米両政府がこの現実を冷ややかに見ていることを気付かなければならない。
 仲井真知事は近く訪米、沖縄の基地問題の現実を米政府に訴えるが、イラク戦争、大統領選に走り出した状況の下で、知事の要請がどれ程の重みを持つか、はなはだ疑わしい。
 米兵事件が起きる土壌は、究極的には基地の存在に由来する。
 各政党に問いたいのは、国政、県政いずれであっても、沖縄の世論を代表する議員が立場を越えて統一行動を取らずに、日米地位協定の見直しなどといった個別のテーマで足並みをそろえても説得力がないということだ。

 特に、連立与党の自民、公明両党の責任は大きいと言わざるをえない。

再三指摘してきたが、基地問題に対する沖縄の怒りがなぜもっと広がらないのか不思議でならない。政党も一般県民も、こぞって怒りを露わにすることで聞く側を動かす。
 今回の女子中生暴行事件は、13年前の少女暴行事件を生々しく思い出させた。宜野湾市の大会場に、8万5000人の県民を駆けつけさせたあの熱気が再現されるであろうことを疑う人はいなかったはずだ。
 沖縄県民の基地問題への対応は、原点に立ち返って検証し直す時期にきている。
(08年3月26日)