【幕を下ろす平成の大合併】

◎もう一度足元を見つめよう

 29次地方制度調査会が「平成の大合併」終結の答申を麻生首相に手渡した。10年に及んだ市町村合併で、全国の市町村数は半分近くまで減った。基礎自治体の数が減った分だけ行政区画は広がり、国がもくろんだ行政効率化は進んだが、一方で広域行政の難しさも浮き彫りとなった。いわゆる、「域内過疎」が行政の恩恵から住民を引き離してしまったのである。
 平成の大合併は1999年4月1日、4町の合併で兵庫県篠山市が誕生したことに始まる。3232あった市町村は、来年3月に1760となる予定だ。市町村数が半減したと言っても、新潟市浜松市のように近隣自治体を囲い込んで広大な面積を持つ政令指定都市となったところもあれば、幾分広域化した市や町などさまざまである。
 これとは別に福島県矢祭町のような合併を拒否したところ、合併を希望したが参加できなかった町村もあって、数字だけでは合併の実態は分からない。

市町村を合併に走らせたのは、いわゆる「合併特例法」だ。合併すれば税財政面で優遇をしてやる―こんな甘い言葉に自治体は「青い鳥」を求めるように飛びついた。「合併しなければ損」というわけだ。
 その結果が、今年3月末までに合併が決まった610件余の大半が、国が手厚い財政支援を保証する旧市町村合併特例法が適用された05年度までに集中するという形になって表れた。
 しかし、合併に踏み切った自治体、特に中規模町村が実感した“合併効果”は、夢見たものとは違っていた(注)。期待した財政上のメリットは、小泉内閣の三位一体改革で地方交付税の大幅カットで帳消しとなった。

 地方制度調査会の答申は、平成の合併が地方分権の受け皿として成果が表れている、と一応評価した。だが同時に、合併が市町村規模の拡大によって住民の声が届きにくくなったり、地域の伝統・文化の継承、発展が危うくなったりするなどさまざまな問題点を指摘し、新たな対応が必要だとした。
 つまり、これまでの手法では限界があるとして知事の役割を示した現行法の期限がくる来年3月で一区切りとするのが適当だと指摘したのである。
 一方答申は、特例法期限後も自主的に合併を選択する市町村を支援する新たな特例法が必要との考えを示した。これは中小自治体、とりわけ合併できない小規模市町村の存続に配慮したもので、広域連携や都道府県が事務補完できる新たな仕組みを検討しようというものだ。だが、都道府県が小規模自治体の事務を肩代わりすることが、簡単にできるとも思えない。
 「補完性の原理」を当てはめ、中小自治体に対する都道府県による事務補完は理屈ではその通りだが、都道府県の関与によって中小自治体は「中途半端な自治体」と烙印を押される可能性はあるし、補完のための都道府県の態勢がどのように構築され、責任の所在は大丈夫なのかという懸念も残る。
 調査会副会長の片山善博・慶大教授(前鳥取県知事)が言うように、「どういう規模で自分たちの地域を経営するかは地方自治の根幹」だ。国が一律の基準を当てはめることは、実態を隠すことになりかねない。ましてや、政治的思惑で自治体規模を論ずるなど、およそ地方自治の理念を欠いたとしか言いようがない。

 平成の大合併について、総務省の研究会と全国町村会が報告書を出している。そこで明らかになったのは、市町村合併の難しさである。平成の大合併が詳細に検証されたとは言えない。にもかかわらず、永田町、霞が関の心は「道州制」に移っている。
 地方自治は緻密な論議を重ね、十分すぎるほど時間をかけて方向性を模索するものだ。机上のスケジュールどおり進めようなどと急く問題ではないことを忘れてはならない。

(注)「政治と行政」【平成合併の検証】 ◎対照的な二つの報告書(081030日)参照

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