【「宗男人気」のなぜ】

◎「改革・効率化」への抵抗か

新党大地」代表の鈴木宗男衆院議員の人気が高まっているようだ。
 鈴木氏のホームページを見ると講演会やテレビ出演の多さには驚くが、話す内容は@改革政治の顛末、その結果としてのA地域経済の不振である。その上でB検察当局の「国策捜査」、さらにはC裁判に身をさらして実感した家族愛―といったキーワードで構成されている。
 小泉内閣の三位一体改革が地域経済を疲弊させたことは、その後を継いだ安倍、福田両内閣が地域振興に没頭しなければならないほど大きな問題だったことを振り返れば分かる。特に安倍首相は「地方の反乱」で参院選に惨敗、退陣に追い込まれた。
 同時に、小泉改革の下で急速に進んだ規制緩和が民間経済、とりわけ中小企業に大きな衝撃を与えたことも事実である。
 この結果浮き彫りになったのが格差社会だ。地域間、企業間に表れた格差は「勝ち組」「負け組」の色分けをはっきりさせた。補助金削減に見合う国からの税財源の移譲はなく、その上、地方自治体の虎の子財源の地方交付税交付金が大幅にカットされては、地方自治体は地域経営の手段を奪われたも同然だった。民間経済部門でも、市場経済主義が企業の優勝劣敗を決定的にした。
 この格差社会が、昨年秋以来のかつてない経済危機で、今度は全国が不況一色で塗りつぶされた。

鈴木氏はこうした社会経済状況を真っ先に取り上げ、政治と中央官庁の行政責任を追及する。自身が経済の低迷が激しい北海道出身ということもあって話は具体的だし説得力がある。
 鈴木氏の政治経歴をたどってみれば、鈴木氏のダーティーさは否定できない。社民党の女性議員から国会で「疑惑の総合商社」と切り込まれるほど、鈴木氏の身辺は灰色だった。結局、鈴木氏は北海道開発局工事や林野庁の行政処分をめぐる罪で実刑判決を受けた(現在、最高裁に上告中)。
 政治家、中でも国会議員にとって有権者の「情」に訴える言葉ほど効果的なものはないと言われる。議員の不慮の事態に遭った家族が、その遺志を継いで出た選挙は、よほどのことがない限り勝利は間違いない。有権者に故人の思い出を蘇らせ、その情に訴えるのだから下手な理屈は要らない。
 疑惑で十字砲火を浴びた鈴木氏が、涙ながらに訴えたのは家族のことであり、特にカナダに留学中の娘から届いた父を想う手紙の中身だった。鈴木氏は、この家族愛の話で大体話を終える。

古い話で恐縮だが、私が鈴木氏と初めて会った、と言うより鈴木氏を見たのは1982年秋である。
 鈴木善幸首相の退陣に伴う同年11月の自民党総裁予備選に立候補した中川一郎元農相(中川昭一前財務相の父)の事前取材で訪れた、国会近くの中川氏の個人事務所だった。細長い事務所の隅のソファーに座った私を、下にも置かないように、斐甲斐しく世話してくれたのが秘書当時の鈴木氏だ。たった1回会っただけだったが、妙に印象に残る秘書だった。
 中川氏は総裁選に惨敗、翌年の1月、札幌市のホテルで原因不明の自殺をした。その後、鈴木氏は国政に打って出て持ち前の行動力で党内の実力者にのし上がっていった。私は政治部記者ではなかったから国政に登場してからの鈴木氏の細かな動きは分からないが、官房副長官として官邸入りしてから沖縄問題に深く関わった動きは際立っていた。

第二次橋本内閣(1997年)では沖縄開発庁長官と北海道開発庁長官を兼務、翌年の小渕内閣、続く小渕第一次改造内閣で官房副長官(政務)を務めている。官房副長官は霞が関の官僚を思いのまま動かすことができる重要ポストだ。
 同時期、首相官邸は首相の小渕、官房長官の野中広務両氏がいて、まさしく「沖縄シフト」の官邸だった。その一角を鈴木氏が担っていたのである。
 この頃、沖縄問題は普天間飛行場の返還問題が最大の政治懸案になっていた。沖縄基地問題の象徴となる普天間問題解決のため、政府は沖縄経済振興にあらん限りの政策を用意した。「利権」のうわさも絶えなかった。沖縄問題を担当していた私は、普天間問題に絡む表だけでなく裏の話もよく見聞きした。そこに鈴木氏の名前が出ることは珍しくはなかった。

(注)鈴木議員の沖縄問題に関連する記述は、本ホームページの【沖縄基地問題】(普天間事案)核心評論「鈴木議員と沖縄」 
◎突出目立った沖縄問題対応 「転落」後の新展開を期待
02621日付)=参照

鈴木氏の物怖じしない性格と行動力は昔も今も変わることはないようだ。
 今では永田町、霞が関を震撼させた昔の勢いはなくなったが、政治の混迷、地域経済の不振、格差社会、それに加えて、西松建設の政治資金問題に絡む「国策捜査」が、鈴木氏の政治的動きを再開させた。いずれの問題も国民が関心を持ち、知りたいものばかりである。
 宗男人気の背景は、国民が持つ政治や行政に対する「もやもや感」なのかもしれない。

09年6月16日)