2009614

【千葉市長選】

◎民主の責務が重くなった

 政権交代の可能性が、また一段と高くなったようだ。
 名古屋、さいたま両市に続く千葉市長選での民主党勝利は、民意が明らかに自民、公明両党から離れたことの表れである。この民意の変化を感じながら、自公はこれまで民主党の非力さを攻撃することで、頼れる連立与党を異常なくらい国民に訴えてきた。
 総選挙が近いとは言っても、告示もしてもいないのに、あたかも選挙戦が始まったかのような自民党の動きは、言葉とは裏腹な危機感のなせる業と言っていい。現在の経済危機に対応した補正予算を含めた緊急経済対策の是非を論ずるつもりはないが、野党の攻勢に対して「政局より政策」として打ち出した対策は、戦略性を云々するよりも「何でもあり」の色彩が濃い。

 例えば深刻化する一方の雇用問題への対策にしても、多額の資金を用意されながら、肝心の地方自治体が自信を持って予算を消化できるような仕組みになっていない。予算は用意したから「使い方を考えろ」では、責任を地方に押し付ける「丸投げ」でしかない。自治体幹部は「予算は使い切れない」と率直に話している。
 生活防衛が急務なのに、それとは無関係に突然麻生首相がぶち上げた「アニメ殿堂」建設も悪評タラタラである。諸外国が評価するアニメ文化を発信する拠点と言えば聞こえはいい。だが作品はもとより、それに従事する人たちの厳しい生活に目を向けどう支えるかの方が大事なことを忘れている。アニメ文化のさらなる発展につながるのは、殿堂というハコものを造ることではない。
 どこに造るのか、どんな施設にするのかといった青写真は全く示さないで、首相の鶴の一声で「アニメ殿堂」が独り歩きしているのである。

 民意が自公連立政権から離反を始めていることは、マスコミ各社の世論調査ではっきり示されている。世論調査に「一喜一憂しない」と言いながら、一方で解散総選挙には「これくらいの内閣・政党支持率が必要」と言って憚らない。
 加熱する選挙運動は、政権与党の危機感がいかに大きいかの表れである。危機感の一つは、揺れが止まらない麻生政権の基盤に対してであり、もう一つは首相のリーダーシップへの不信感からだ。首相の「大権」である解散権が、与党内で軽く使われている状況を見れば明確だ。

 ところで、代表交代以来国民の期待が膨らむ民主党だが、浮かれていると有権者のしっぺ返しがあることを十分認識しなければならない。
 政界再編の中で保守、中道、革新が寄り集まってできたのが今の民主党である。だから、主義・主張がばらばらの寄り合い所帯だと言われ、現にそれが政党としての弱さとなって表れ、信頼感に欠けると突き放されてきた。
 だがこの2、3年、政治状況は激変した。ひ弱な体質はまだ残るが、国民は明らかに民主党が政権を担える政党になることを期待し始めている。

 流動化する世界情勢の中で、日本は自らの位置づけを求められている。にもかかわらず、政治的には米国の庇護の下で発言、行動している状況に変わりはない。財政危機に窮しながら財政をテコにした外交が相変わらず続いているのは、主体的な外交理念がないからだ。
 民主党に求められるのは、国のあり方を明確にすることだ。そのためには、国と地方の役割をあいまいなままにしていてはならない。明治以来の集権国家を解体し、地域主権が確立した仕組みをつくる。
 中央官庁の不祥事が相次ぐのは、現在の統治機構が「構造疲労」を起こしていることの表れである。地域主権が確立して初めて、集権体制時代の残滓を取り除くことが可能だ。
 今の政治に求められるのは新しい感性である。過去を引きずりながら新しさを求めても時代の扉は開かない。地方選の結果は、それを示している。(尾形)