☆沖縄サミットの開催という高度な政治判断がもたらした普天間飛行場の移設受け入れから1年が経った。この間、沖縄の世論は漂流を続けた。しかし、日米外交は新たな同盟を目指して動き出していた。

資料版「論説」

◎普天間移設決定から1年

 沖縄の米海兵隊基地、普天間飛行場の移設先が名護市辺野古の沿岸域に正式決定して一年になる。一九九六年四月の日米合意で五―七年以内の「全面返還」が決まったが、県内移設が条件だったため強い反対運動に遭った。
 政府は七月の主要国首脳会議(沖縄サミット)の閉幕後、沖縄政策協議会に加え、名護市に建設する施設の内容を協議する「代替施設協議会」や普天間飛行場の跡地利用に関する協議会を次々と立ち上げた。
 一方で移設先となる名護市にとどまらず、経済的疲弊が目立つ北部地域全体の振興も視野に入れた対策ができつつある。政府の経済振興策は着実に形を見せ始め、その限りでは普天間問題は一年前に比べれば大きく前進したと言っていい。

 ところがサミット後、沖縄基地問題への関心が急速に薄らいだ。問題がなくなったからではない。沖縄基地の役割がどうなるか分かりようがない県民が、当面する経済振興の行方に関心を移しているからだ、と言っていいかもしれない。

 基地問題が沈静化したように見えるのはこのためだ。政府の政策は、移設反対派には財政支援を使った懐柔策と映るが、逆に振興策を求める賛成派は、またとない機会と見る。基地か経済振興かで県民世論は二分されたままの状態だ。
 故小渕恵三前首相が決断した沖縄サミットは、基地問題をにらんだ高度な政治判断だった。が、小渕氏の遺志は生かされたとは思えない。

 普天間問題は国内問題とされるが、日米安保の本質に触れる課題が内政問題として処理可能とは考えにくい。基地にまつわる事件・事故がどれだけ日米関係を震撼(しんかん)させたか考えるまでもない。
 在日米軍基地の役割は、九六年の日米安保共同宣言で様変わりした。そして今、南北朝鮮首脳会談が実現し、来年一月には米国に共和党のブッシュ新大統領が就任するという新局面を迎えている。
 日米同盟の強化に軸足を置くブッシュ次期大統領は、これまで以上に対等の役割を求めてくるのは間違いない。ナイ前国防次官補やアーミテージ元国防次官補ら対日政策に影響力を持つ超党派の米有力者グループが先に提言した内容は、次期米政権の外交・安保の基調と見るべきだ。

 コーエン国防長官の九月のアジア歴訪はアジア新安保の秩序に向けた主導権を模索するものである。朝鮮半島情勢の変化で米国の戦略が急展開するとは考えられない理由をそこに見る。米側は逆に、安保共同宣言の履行を日本に強く求めてくるだろう。
 新しい戦略に着手した米国の動きに比べ、日本の対応は鈍い。日本の事情に一定の理解を示しながら、沖縄の基地問題の打開が遅いことにも米側の批判は強い。
 沖縄の基地問題は、日米間に突き刺さったトゲのようなものだ。沖縄サミット前に発足した第二次森内閣から、橋本竜太郎内閣以来の「沖縄シフト」は消え、沖縄サミットでも森首相から基地問題のメッセージは十分に発せられなかった。

 七二年の日本復帰後に限って見ても、沖縄問題は政治が道を開き、行政が後を追う形を取ってきた。つまり、政治の主導がなくては問題の進展は期待しにくいということである。
 こんな中で注目されるのは、第二次森改造内閣で沖縄開発庁長官に就任した橋本元首相だろう。入閣の決め手は「沖縄」だった。
 橋本氏は首相当時、米側から普天間返還を取り付けたが、九八年七月の参院選惨敗で退陣。在任中に提示した、名護市東海岸の海上ヘリ基地構想も挫折した。
 九五年秋の少女暴行事件以来火を噴いた基地問題は歴代内閣の命運を左右しかねなかったが、なかでも橋本内閣の苦労が最も大きかったように思う。橋本氏は今、「普天間の完成」を心に期していることは想像に難くない。
 十二月二十五日、久しぶりに沖縄を訪れた橋本氏は、大歓迎の中で、問題解決への並々ならぬ決意を示した。沖縄問題に通じた橋本氏が森内閣で対米折衝も含めてどんな役割を演じるのか注目したい。

20001227日付)