2009518

◎「批判は支援」と考えよ
 
 鳩山民主党始動

 民主党の新しい執行部が発足、始動した。
 新代表に鳩山由紀夫氏、幹事長には代表選を争った岡田克也氏が、そして代表を退いた小沢一郎氏が来るべき総選挙を仕切る代表代行にそれぞれ就いた。党内融和と解散総選挙の勝利を最大の眼目にした新体制である。
 西松建設からの政治資金問題で第一秘書が逮捕され、政治とカネの問題はあったが、小沢氏の代表辞任は総選挙勝利に向けた党内態勢の確立のためだ。政府、与党にとってこの時期の小沢辞任は想定外だった。
 西松建設絡みの政治献金は、政治資金規正法の観点から「一点のやましいところはない」と突っ張っていた小沢氏が代表ポストに留まっていてくれた方が、与党にとっては都合が良かった。マスコミの論調も与党の言い分に近かったし、危機ラインから抜け出せない麻生内閣の支持率を上向かせるにも好都合だった。

西松事件が起きて以来、マスコミは民主党に厳しかった。それが反小沢の感情を膨らませ、世論は与党に都合よく動いてくれた。与党に厳しい目を向ける論調があったのも事実だが、総じて「小沢たたき」の方が国民の正義感をくすぐったと言える。
 小沢氏が辞任した後も、後継を見るマスコミの目は「親小沢」、「非小沢」を物差しにした。鳩山氏は「親小沢」であり、岡田氏は「非小沢」という位置づけで、鳩山氏が新代表になれば小沢氏が裏で新体制を動かす「小沢院政」になるといった分析だった。
 たが、こうした決め付けが与党側の主張と軌を一にしていることへの認識が取材の現場でどれほどあっただろうか。
 マスコミは俗に言う「正義の味方」でもなければ、悪を懲らしめる「鞍馬天狗」でもない。テレビの報道番組で、したり顔で政局を語ってみせる評論家然とした大手マスコミのベテラン記者からは、日本の政治が目指すべき姿や哲学は微塵も感じられない。永田町の現状をおもしろ、おかしく語っているにすぎない。
 劇場型政治にマスコミが一枚加わっている現状は、オピニオンリーダーとは何なのかを問うている。大衆紙ならいざしらず、大部数を誇るクオーリティーペーパーのやることではない。マスコミのあり方に疑問を呈する声は、この十数年来のことだが、その勢いはさらに増している。

 政局の日々の動きをなぞるような報道を読者や視聴者は求めていない。一般の人には真似のできない分析・検証は報道の責任で行われなければならない。その上で、政治のあるべき姿を示してこそ報道の説得力は生まれる。そのための努力が報道に携わる者の義務でもあり責任である。
 マスコミには、不勉強な政治家をたしなめ恐れられる存在になってもらいたいし、間違ってもテレビ番組で与野党の中堅、若手の政治家に混ざって、居酒屋論議の域を出ないような議論はすべきではない。

 ともかく、民主党は新たな船出をした。たくましさに欠け、頼りないところがある民主党だが、全力で政権奪取に邁進してもらいたい。ともかく今の日本に必要なのは政権交代である。民主党に浴びせられた批判は、見方を変えれば叱咤激励である。切磋琢磨し、政治の王道に励んでもらいたい。
 多少のつまずきはあっても政治の仕組みを立て直さないと、付け焼刃的な改革で終わってしまう。あらゆる意味で日本は曲がり角に来ている現実を頭に叩き込むことが必要だ。(尾形)