【全国知事会長3選】

◎「要望」を越える存在となれ

 全国知事会長に麻生渡氏(福岡県知事)の3選が決まった。対抗馬も現れない無投票当選だったが、分権改革が正念場を迎えたこの時期を考えると、果たしてこの無風ぶりで良かったのだろうか。
 言うまでもなく、分権改革は国の出先機関の取り扱い、国と地方の税財源の配分など国と地方の役割を明確にしなければならない難問が目の前に並んでいる。少しでも気を抜くようなことがあると、三位一体改革以降の現在の第二次分権改革は方向性を失い、後戻りすることだって否定できない。
 昨年秋以降、日本経済は米国を震源とする金融危機の影響をもろにかぶり、実体経済は日を追うごとに悪化した。先進国中最悪の状況に追い込まれている現状は、過度の輸出依存の産業構造が世界同時不況で逃げ場を失ったからだ。その影響は地方経済も直撃、地方自治体とりわけ企業城下町は税収の大半を失うはめにいたっている。

 こんな事態を迎えると、政府もなりふりを構っていられない。ばら撒きと言われようが、思いつくことを片っ端から引っ張り出し緊急経済対策を連発した。
 そのおかげもあるが、本年度の地方自治体の予算編成は数字の上では前年度をいくらか上回ったが、安心できる状態ではない。税収を上回る国債発行で借金を積み重ねた結果、基礎的な財政の収支を均衡させる「プライマリーバランス」は棚上げ状態である。
 こんな中で地方自治体が直面しているのは、今の状況からいかに脱却するかであって、分権改革の正当性を追求する余裕はほとんどないと言っていい。
 国の直轄事業費の追加負担問題にしても、財政がにっちもさっちもいかなくなった自治体の悲鳴なのである。自治体にとっては、現状からの脱却が最優先の課題なのだ。
 分権改革は一筋縄ではいかない、複雑多岐な歩みである。国の仕組みは法制度で強固に守られており、官僚はそれを盾に改革のスピードダウン、形骸化を狙っている。

麻生会長の前任だった梶原拓会長(岐阜県知事)が掲げた「闘う知事会」は、国に真正面から分権改革の闘いを挑んだ。改革派知事と呼ばれる行動的な知事が梶原会長を支えて全国知事会を引っ張った。
 梶原会長の引退を受けて後を継いだ麻生現会長の路線は「協調・行動して成果を得る」知事会だった。だが、この麻生路線は十分に機能しなかった。分権改革が総論から各論に進んで調整不能な問題が続出し、自治体同士の思惑がぶつかり合う場面が多くなったためだ。本来、調整型の麻生会長の役割がそこで発揮されるはずだったが、それがなかった。

全国知事会の地図も様変わりした。改革派知事が舞台から去り、代わって宮崎県大阪府のようにタレント出身の知事が現れ、その言動のユニークさもあって住民の知事を見る目も変わった。就任間もない千葉県知事の行政スタイルも似たようなものだ。例えるならば、地方自治の「法制度論」を越えた「実態論」、つまり分かりやすい地方自治を住民が求め出したと言い換えることができる。
 分権改革の難題を抱えながら知事会に吹き始めた新しい風、そして各都道府県が直面する現実を見れば、率直に言って知事会を束ね国と丁々発止の論争を知事が買って出る雰囲気ではない。責任感から名乗りをあげても真の同調者が現れるとは限らない。
 仮に会長選に名乗りをあげれば、マニフェストも同時に明らかにしなければならない。対立候補がいる場合は、その候補との違いも言わなければならない。だが現状を見れば、改革の方向性を修正することはできないし、かと言って自分の足元の行政を軽んずることもできない。
 結局は、麻生会長支持を表明することで3選の流れをつくることが、各知事にとって「最良選択」だったのかもしれない。見通しが不明な分権改革問題を麻生会長に三度ご苦労を願いたいということだ。
 麻生会長の本心はなかなかうかがえないが、労多くして実りの少ないポストの激務から解放されたいと考えても何の不思議はない。しかし、麻生会長は自ら身を引くことができなかった。
 麻生会長に求められるのは、経済的な非常時における分権改革をどう進めるのか。そして、霞が関、永田町の分権守旧派をどう攻め立てるのかだろう。
 宮城県知事で改革派知事の1人であった慶大教授の浅野史郎氏の言葉を借りれば、「今の知事会は国に要望する姿勢が目立つ」。もっと、闘う知事会として態勢を強化、理論武装することを忘れてはならない。

09512日)