☆普天間飛行場移設問題の核心となる「代替施設協議会」が首相官邸で行われ、日米合意から4年4カ月目にして、ようやく普天間返還問題が本論に入った。

核心評論「正念場の普天間移設」

◎避けて通れない15年問題

  本番論議に積極対話を

 二十五日の首相官邸大食堂で開かれた会議は、沖縄県の稲嶺恵一知事と名護市の岸本建男市長が沖縄の意志を各閣僚に念押しする場になった。
 この日の午前九時からの普天間飛行場移設問題の核心となる「代替施設協議会」は、日米合意から四年四カ月目にして、ようやく普天間返還問題が本論に入ったこと示している。昨年暮れに普天間飛行場の移設先が決まってから、七月の主要国首脳会議(沖縄サミット)開催で、普天間問題の具体的論議は経済振興策を除いて棚上げになっていた。それがこの日始まったのである。
 稲嶺知事と岸本市長はともに、基地問題解決の重要性を指摘して、普天間代替施設の使用期限十五年問題で政府のより一層の努力を要請した。だが政府側の反応は今一つだった。

 協議会の先行きを予想するのは難しい。政府の本音は、昨年暮れ以来の〃空白の八カ月〃を早期に埋めることであり、日米合意から時間がたち過ぎたとの思いが強い。
 代替施設協議会は昨年暮れ、政府が普天間移設に関して閣議決定した政府方針に基づいて発足した。移設に当たっての基本計画の策定、安全・環境対策、十五年問題など四項目の方針が示されている。だが政府は、協議会は基本計画策定に必要な事項を協議する場だとし、十五年問題は議題にしないことにした。
 議題にならないにしても、基本計画策定のテンポに合わせて知事や市長が機会をとらえて十五年問題の展望を示すよう攻勢を強めることは間違いない。計画の概要をまとめるに際して、地元の意志である使用期限を避けて通れないからだ。
 そのとき政府はどうするか。知事と市長は「別途協議できるよう」求めた。少なくとも、これまでのように「沖縄の要請を米側に伝えた」というような言い分は通用しない。より真剣に対米交渉を始めるのが基本だが、そのための国内論議をもっと深めるべきだろう。

 橋本龍太郎元首相は首相在任中、当時の大田昌秀沖縄県知事と十数回も差しの会談をし、基地問題の打開策を探った。森喜朗首相も見習ってほしい。国と県のトップ同士の直接対話がないまま「間接話法」で十五年問題が交わされるのは、裏を返せば双方の問題解決への熱意が本物でないと言えなくもない。
 政府は別途協議の場を設けることに否定的だが、例えば休眠中の沖縄米軍基地問題協議会を活用する手もある。基地問題協は一九九五年十一月の閣議決定で発足。官房長官、外相、防衛庁長官、沖縄県知事の四人をメンバーに以後五回の会合をもったが一年後の十二月を最後に活動を停止した。政治判断が必要な十五年問題の協議の場として十分利用できる。

 国会とて高見の見物が許されるはずはない。
 沖縄問題は「基地」と「経済振興」に大別できる。経済振興は橋本内閣以来の諸施策で大枠が固まり、肉付けと方向付けができた。
 九五年秋の米兵による少女暴行事件に始まる問題解決の糸口は、経済振興面では形を整えつつある。これを第一段階とするならば、二十五日の代替施設協議会は、基地問題そのものを問う第二段階に入ったことを意味する。
 第二段階は、米軍の東アジアでのプレゼンスや米国の世界戦略を真正面から見据えることになる。それだけに腰を据えた対米交渉が必要になる。政府だけでなく国会も役割を認識しないといけない。

2000年8月28日付)