「再見わが町」―(志摩市安乗)

志摩市の天然フグ「あのりふぐ」は毎年2月9日、伊勢神宮に献納される。内宮の参道を進むあのりふぐ協議会の代表者ら(09年2月9日)


◎あのりふぐは神の恵み

 背中にフグのイラストを染め抜いた法被姿の男たちが、神妙な面持ちで五十鈴川に架かる宇治橋の仮橋を渡り、伊勢神宮の参道を進んだ。
 神宮参事が先導する一行20数人は、三重県の「志摩の国漁業協同組合」の「あのりふぐ協議会」の面々である。重さ2―3キロもある元気な天然トラフグ「あのりふぐ」13匹が入った籠を担いだ一行は手水舎で身を清めて神楽殿で献納、正殿を参拝して今年の儀式を終えた。

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あのりふぐの献納は、「ふぐ」の語呂合わせで毎年29日に行われる。10月から始まるフグ漁は2月いっぱいで終わる。漁も山を越したこの時期は、3月からのカツオやヒラメ漁の準備が始まる。
 あのりふぐ漁の始動は早い。安乗漁港(志摩市阿児町)を深夜出港した7―8トンの船団は、伊勢湾から遠州灘にかけての漁場に着くと、漁の準備をしながら日の出を待つ。空が青みを帯び、漆黒の海も輝きを増す。水平線に上る朝日が、周りの雲をオレンジ色に染めた。燃えるような朝焼けだ。
 日の出とともに、漁船から一斉に延縄(はえなわ)が海に放たれていく。長さ数キロにもおよぶ延縄は、生き物のようにくねりながら海の中に潜っていく。
 しばらくして引き揚げられる延縄の幹縄にぶら下がるように、白い腹を膨らませた「あのりふぐ」が次々と海面に姿を現した。漁師たちの日焼けした顔がほころぶのはこの時だという。
 夕方、漁を終えて帰港した漁船の上では、仲買人たちが品定めをしながら一隻ずつ入札を行い、競り落とされたフグは地元「志摩の国」の「あのりふぐ取扱店」だけで客に供される。

安乗の漁師たちがトラフグ漁を始めたのは、それほど古くはない。ごくわずかの漁師が戦前から手掛けていたが水揚げも少なく、東は千葉県沿岸、西は和歌山県沿岸までトラフグを求めて出漁した。
 細々とした漁の転機となったのは1984(昭和59)年の10月。現在、志摩の国漁協筆頭理事で、あのりふぐ協議会長を務める浅井利一さんが、1人の漁師としてフグ漁の本場の山口県・下関に行き、フグ漁の技術を学び安乗に戻った。
 「本場の名人から教えられ、俺は研究、努力した。努力すれば必ず報われることがおもしろかった」
 89(平成元)年、あのりふぐの漁獲量は約200トン(10億円)だった。それまでの全漁獲高をあのりふぐだけで稼ぐ「信じられない」ほどの豊漁だった。この年、下関の取引所でセリにかけられたフグの約8割は安乗から運ばれたものだったという。
 近年の安乗漁港の漁獲は、2002年が75トンと全国でトップクラスだった。昨年は40トン、今年は23トン程。漁獲は年によって変わり資源が減ったわけではないが、その理由は分からない。だが、漁獲量は間違いなく減ってきている。

 東シナ海を漁場とする先進地の西日本のトラフグ漁は、乱獲が問題になっていたことを安乗の漁師たちは聞いていた。
 安乗漁協は天然トラフグを守ろうと、愛知県静岡県の漁協と語らって漁期を決め、漁も乱獲につながる「浮き延縄」を禁止、「底延縄」だけとした。魚体も700グラム以下は放ち、稚魚の放流も続けている。「海の神様がくれた恵み」を大切にしようとの気持ちからだ。
 漁師も行政も高望みの宣伝はしない。大消費地に売り込むことが目標ではない。あくまでも、「地元に来てもらって食べてもらう」ようにしている。冷たい風が吹き始める11月ともなると、フグ料理を求めて観光客が増える。そんな訪問者は、他の水産物も食べてくれる。「地産地消の仕掛けとしてのあのりふぐ」(志摩市水産課)なのである。
 漁が始まる10月は間違いなく豊漁になるが、地元での消費には時期が早すぎ、この時期は施設が整っている下関のセリ市場に回されるものが多い。その後は地元での消費が中心となる。
 体力が弱った漁協の生き残り策として、平成の大合併で誕生した志摩市の旧4町の17漁協が大合併した志摩の国漁協の挑戦は、地域活性化の事例として国の表彰を受けた。志摩市と漁協が目指すのは、他の地域の産品とどう差別化して地元のブランドイメージを発信するかだ。
 豊かな海、伊勢湾がもたらす恵みは季節ごとに伊勢神宮に献納される。

(「地域政策」09年春季号)