編集長コラム「国と地方」

橋下流モダニズム

突然、思いもしなかった請求書がきたら戸惑うのは当たり前だ。だが、その請求書の送り主が怖い存在だったら、泣く泣く従わざるをえない。それが強者と弱者の関係である。こんな裏社会まがいの仕来りが、霞が関と地方自治体の間で当たり前のように続いてきた。
 大阪府 橋下徹知事が追加負担に異議を唱えことに始まった国の直轄事業の負担金をめぐる問題は、霞が関の威光に抗しきれずに悶々としていた地方自治体のうっ憤を晴らす、格好のきっかけをつくってくれたようだ。
  橋下知事の言い分は、財政難で聖域なく府の事業を削っているのに、国の事業だけ言われるままでは府民に説明がつかない、ということだ。
 昨年秋に始まる経済危機で地方自治体の新年度予算は、税収の大幅落ち込みでにっちもさっちもいかなくなり、基金の取り崩しや赤字地方債の発行などを総動員した。
 霞が関に押し掛けた知事は、金子一義国土交通相に「地方は(国の)奴隷。『奴隷解放』をしてもらわないとどうしようもない」とねじ込んだ。知事にはあるまじき態度だと国交省官僚は思ったようだが、この橋下流「突っ込み」が霞が関だけでなく永田町にも響いたのだから不思議なものだ。
 金子国交相は、2009年度の補正予算は地方に財源がない状況を念頭に置かざるをえないと言ったし、自民党幹部も追加経済対策としての「地方負担ゼロの直轄事業」を検討するという。

急速な景気悪化を政府、与党が放置できないと認識しだしたことはいいのだが、「物分りがいい」とばかり喜んではいられない。秋までには間違いなく総選挙はあるし、急を告げる政局は、いつ何時、解散に突き進むか分かったものではない。衆院選をにらんだ大盤振る舞いになりかねないことを忘れてはならない。
 国が行う公共事業には地元にも恩恵があるとして、地元自治体が事業費の一部を負担することが法律で定められている。だが、事業内容や負担金の積算根拠が明確でなかったり、一方的に追加負担を通告されたりすることへの自治体の不満は強かった。
 昨年秋、熊本県知事が白紙撤回を求めた川辺川ダムは総事業費が当初の約10倍の3千数百億円。事業予算を極力絞ってスタートするのが大型公共事業の常である。予算要求がスムーズに進むし、事業費の増加は人件費、資材費などを理由に説明がつく。税金が充てられるのだが、世論の目もさほど厳しくはない。
 自治体の懐具合にもよるが、自治体が追加負担を甘んじて受け入れてきたのは、負担増に文句を言うことは別の補助事業で霞が関のしっぺ返しを食う不安があったからだ。ところが三位一体改革以来、地方財政は目に見えて苦しくなった。黙ってはいられないところまで追い詰められたのである。

橋下知事は、確かにこれまでの知事像を覆した。 橋下知事がまいた種は、北陸新幹線や九州新幹線の建設費増加分に「待った」をかける動きを呼び込んだ。いずれも官僚OB知事たちである。橋下知事の手法が新しい「闘う知事」なのか即断できないが、自己主張を行動で示したことは分権改革の新しい方向性を示している。

(「地域政策」09年春季号)