【大戸川ダム凍結】

◎行動する知事に存在感

 淀川水系・大戸川ダム計画(滋賀県大津市)の凍結が決まった。昨年11月、滋賀、京都、大阪、三重の4府県知事が計画に緊急性がないとして建設中止を求める共同意見を発表してから4カ月、知事らの主張が国を寄り切った形となった。改めて、この問題を考えてみたい。

金子一義国交相が、淀川水系河川整備計画にある大戸川ダム建設を当面凍結すると正式に表明したのは3月末だ。凍結の理由について、国交相は「建設に反対する知事の意見と事業推進を求める市町村長の意見の両方を重く受け止めた」と語った。
 つまり、大戸川ダム建設は「当面凍結」としたが、「中止」ではない。反対、賛成の二つの意見を最大限取り入れ、いずれにも説明がつく苦しい結論である。
 既に本ホームページで指摘したが、大戸川ダム問題は、国の事業の是非を地方自治体がどこまで追及、さらに抵抗できるかを見る格好の事例だった。すなわち、地方分権の具体的な事例として成り行きが全国的に注目されていた。
 河川法改正(1997年)で、国は流域自治体・住民の意向を最大限尊重しなければならなくなった。もちろん、今回の事例でも賛成、反対両論はある。一方に偏すれば、事業推進に支障が表れるだけではなく、行政の公平性が問われてしまう。公共事業が避けて通れない民意の尊重だが、今回は環境問題に加えて財政問題が大きなウエートを持った。
 有り体に言えば環境問題で論議が多いダム建設が、従来にもまして台所事情が厳しい自治体にとって負担の限度を超えた事業として耐え切れないほど重くのしかかったということだ。環境と財政の二つの問題が、地方分権という舞台で互いに作用しあって、国の直轄事業を追い込んだと言っていい。
 逆に国の立場からすれば、直轄事業の制約が大きくなってしまったと言える。

河川法改正以来、知事の反対で直轄ダムが凍結になるのは今回が初めてだ。大戸川ダム問題が表面化する前の昨年秋、熊本県の蒲島郁夫知事は「五木の子守唄」で知られる川辺川ダムの建設に反対を表明、現在、県が関係市町村とダムに代わる対策を話し合っている。
 蒲島知事は市町村と話をまとめて国に結論を提示することになるが、仮にダムに「ノー」の結論が出たとしても、国が全面的に手を引くことはできないだろう。

 大戸川ダム建設計画は凍結となったが、河川整備計画ではダム建設に並行する県道付け替え工事は継続となった。国は当初、「ダム建設と一体」として付け替え道路整備をしない考えを示していたが、滋賀、京都、大阪の3知事が強く反発したため継続されることになった。
 だが、事はそう単純ではない。
 凍結という玉虫色の決着の裏を見ると、国交省なりの計算も透けて見える。河川法改正で国の無理押しは、確かにできなくなった。かといって、「中止」となれば、国の全面的な負けとなり、理屈の上ではダム建設だけでなく付け替え道路など地域振興につながる付帯工事も同時になくなってしまう。
 流域の賛成派をつなぎとめ、国の事業に対する信頼を確保するためにも、結論は先送りにし状況の変化を見守ることが賢明だと判断した。省益にもかなう。そのために、付け替え道路の工事を継続することにしたのである。

 それと、国交省が描くシナリオに甘さがあったことも指摘できる。
 流域の自治体の協力態勢が、予想以上に強固だった。河川行政を見ると、流域の自治体は上、中、下流でそれぞれ思惑が違い、連携して事に当ることはあまりなかった。それが、大戸川ダム問題では滋賀、京都、大阪の3府県の協力態勢は揺るがなかった。これも、国交省の見込み違いだった。
 さらに、自治体の財政困窮に対する認識も甘かった。直轄事業は、当初の事業費で済むことは全くと言っていいほどない。事業費は年々増え続け、増えた分の一部は自治体に一方的にツケが回される。その請求額が大きくなれば、自治体も支払いができなくなる。自治体の懐具合に国が無頓着すぎた。

今回の大戸川ダムの整備計画を読むと、本体工事は当面実施しないが、中・上流の改修の進み具合を見ながら必要があれば本体工事を検討。着工する場合は改めて知事らの考えを聞く、という。
 ダム建設に対する世論は年々厳しくなっている。計画策定から30年も経てば社会状況も一変する。事業目的も時代にそぐわなくなっていることも多い。巨額の公共事業に対する反発だけでなく、環境問題を避けて通れないのが大型公共事業の宿命だ。にもかかわらず、公共事業は動き出したら止まらない。
 建設反対運動が続いているダム計画は少なくない。国交省は  大戸川ダムや川辺川ダムのような例が全国に広がることはないと言うが、大型公共事業を取り巻く環境の変化に国交省の危機感は大きい。

 大戸川ダムも川辺川ダム問題も、知事が真正面から国に物申した。腰の重い国を動かすのは理屈ではない。覚悟を決めた知事が連携して事に当れば展望が開けることを身をもって示した。国と地方のあり方を考える上からも画期的な地方自治の動きと評価できる。知事がじっとしていて済む時代ではない。国の顔色をうかがって、言うだけで何もしない知事は分権改革の旗手とはなり得ない。

0946日)