千葉県知事選】

◎分かりやすい変化を求めた

 森田健作氏(無新)が100万票を突破する圧勝で終わった千葉県知事選は、宮崎県の東国原知事や大阪府 橋下知事の登場が示した地方政治の変化が首都圏の千葉県で再現したと言うことができる。
 元国会議員というより、かつて青春タレントとして活躍した森田氏が他の4候補より知名度が抜きんでていたことは確かだ。タレント出身の候補に期待する有権者心理は、既存の政治家にはない「何か」を求めていることを表す。
 それは「清新さ」や「庶民感覚」と言ってもいいかもしれない。これまで当たり前だった、行政に通じているとか特段のリーダーシップを求めてのことではない。
 東国原、橋下両知事の圧倒的な支持率は、自ら地域のトップセールスをやったり、庶民感覚で中央政治にかみついたりするなど、既成の知事には見られなかった行動が評価されたからだ。
 庶民受けを狙ったり、パフォーマンスが目立ちすぎるとの批判もあるが、政治家である以上、それを「悪い」と切り捨てることもできない。要は、パフォーマンスを実務にどう反映させるかである。東国原、 橋下両氏はこれまでのところ、有権者に分かりやすい答えを出してきた。

森田氏が選挙期間中、熱く語った「千葉の広告塔になる」「千葉を日本一にする」といった言葉は、本人の持ち味もあるが、千葉を見る目、いわゆる「千葉感」を魅力的にし、併せて地域活性化につなげてくれるような期待感をくすぐったようだ。
 こうした思いは、政治をもっと身近にしたいとする有権者心理なのだが、これまでの地方政治は、その期待に応えることが十分でなかった。行政に長けたエリート官僚OBが大半の知事や政治キャリアの豊かな知事が、こうした有権者心理を十分つかめなかったのは、知事が市町村長ほど住民に近い存在でなかったことも一つの大きな要因だ。
 その知事が目下迫られているのは、いかに地方の自立を実現するかである。そのために欠かせないのが地方分権改革と言っていい。

「分権改革」が叫ばれながら国民の胸にストンと落ちないのは、どこか専門的で、庶民の日常生活にどんなメリットがあるのかないのかが明確でないからだ。
 私は常々、分権改革はそんなに専門的な目で見る必要はないではないと思っている。行政論に軸足を置いて分権改革を見たり論じたりするから世論の興味がわいてこない。行政論を外した分権論はありえないが、地方政治を預かる者は、分権がいかに日常生活にかかわりが深いかを具体的に分かりやすく説明しなければならない。
 道路特定財源問題で東国原知事は、その必要性を声を大にして訴え政府、与党を喜ばせた。そのことには異論はあるが、官僚OB知事が同じ論法を駆使しても一般的な説得力には格段の差がある。その差は理屈だけでなく、主張の分かりやすさ、知事の好感度である。
  橋下知事が、国が直轄事業の追加負担を地方に一方的に押し付けてくることに口を極めて反発したのも、水面下で片付けられてきた問題の重要性に気づいたからだ。「こんなことが許されるか」とねじ込まれた閣僚が、直轄事業の再考を約束したことで現実を直視した国民は多い。
 森田氏の勝利宣言は「中央に物申すかっこいい千葉県をつくっていきたい」だった。
 かつての青春スターも59歳である。若きころは、剣道着姿で走ってばかりいないで「ベットシーンもできる俳優になれ」と言われたことがあったらしいが、本人は「自分らしくない」と地を通したという。

 森田氏の勝利について政府、与党首脳は「われわれの勝利」とは言わなかった。本来なら民主党を中心とした野党候補を破ったのだから喜んでもいいはずだったが、それができなかったのは、有権者の選択をわが成果と言えるほど自慢できるものがなかったということだ。
 流行言葉を使うなら、森田氏の勝利は政治の閉塞感を打ち破る「変化」を有権者が期待したことである。
 と同時に、従来、知事選となると「豊富な行政経験」をうたい文句に擁立してきた官僚OB頼みの選挙戦に変化の兆しが表れたと見ることもできる。経歴から言えば、地元出身で霞が関の官僚OBはもっとも「県民党」にふさわしく、有権者にもさほど抵抗はない。「中央に通じている」ことがキーワードだった。つまり、この常識が変わり始めたということである。
 宮崎、大阪、そして今回の千葉県と、従来の常識を超えるような3人の知事が現れた。変化への期待感が、知名度をバネに大きく膨らんだのが千葉知事選での森田氏の大勝利だった。

0941日)