3カ月前、自民党を離党した鈴木宗男衆院議員が、19日逮捕された。国有林無断伐採事件の行政処分に絡む容疑である。鈴木議員は、いわゆる「沖縄族」として、独特の嗅覚で地元に浸透。橋本、小渕両内閣の下での動きは、まさしく神出鬼没のごときだった。沖縄の土建業界が氏に会うため列をなしたことは、その影響力に期待したからである。だが、離党の引き金となった外交問題以降、東京地検の照準は氏の「利権」に当てられていた。沖縄振興に関連する事案で鈴木氏の疑惑は取り沙汰されていたが、捜査線上に上ることはなかった。

核心評論「鈴木議員と沖縄」

◎突出目立った沖縄問題対応

 「転落」後の新展開を期待

 一九九七年、第二次橋本龍太郎改造内閣で沖縄開発庁長官になった鈴木宗男議員の大臣室前には、沖縄からの陳情客や業界関係者がいつも列をなしていた。九六年四月、普天間飛行場返還の日米合意ができ、普天間代替施設としての「海上ヘリポート」が明らかになってから、政府は名護市を中心とした沖縄県北部の振興策づくりに本格的に着手した。
 経済的疲弊が著しい県北部にとって、政府が口にする振興策はバラ色に輝き、魅力あふれる。大臣室の前に並んだ陳情団にとって、鈴木議員は地元の苦衷を聞いてくれて、かつ手厚い振興策をお願いできる、頼りになる政治家だった。

 政府筋は当時の模様を「門前のにぎわいだった」と形容したが、鈴木議員は陳情団に「海上ヘリ基地」との関係を忘れずに念押ししたという。だが、この「基地」と「振興策」を関連づけることは、基地に対する地元の微妙な感情を配慮してタブーだった。
 橋本首相でさえ国会答弁や沖縄訪問の際にも、地元の懸念を再三打ち消すように、普天間移設と振興策は別だと強調している。
 普天間移設に絡む振興策の検討は、事の重要性から内閣官房を中心に進められていた。沖縄開発庁長官が政治的発言できる裁量はごく限られている。
 鈴木議員の突出が典型的に表れたのは九七年十二月。
 このころ沖縄では、海上ヘリの是非をめぐる
名護市民投票が迫り、政府の振興策とりまとめも急ピッチで進められていた。村岡兼造官房長官(当時)が同月六日、直接名護市入りして振興策の概要を説明、移設への協力を要請している。
 ところが鈴木議員はその二日後の八日、畳みかけるように同市を訪問、独自の振興案を地元に伝えた。振興案は普天間移設と密接にリンクするとも言った。鈴木議員の存在感の誇示であることは明らかで、首相官邸も鈴木議員の独走に嫌悪感を抱いたのである。

 その後鈴木議員は、小渕恵三内閣で官房副長官となり、沖縄政策をリードする有力政治家の一人となった。
 当時の小渕内閣は小渕氏を筆頭に野中広務官房長官(沖縄開発庁長官)もいて、首相官邸に陣取る四人の政治家のうち三人が沖縄開発庁長官の現職、経験者。かつてない「沖縄布陣」が敷かれていた。
 それだけ沖縄問題が政治の重要課題だったことの表れだが、鈴木議員の独自行動にはさらに拍車がかかった。
 開発庁長官、官房副長官としてだけでなく、自民党総務局長として、その間、鈴木議員は、旧沖縄振興開発特別措置法改正、米軍の実弾射撃訓練の本土移転、軍用地主対策の法改正などの政策決定に当然ながら関与している。
 さらに、普天間問題の円滑な解決を目指した閣僚と沖縄県知事らによる代替施設協議会の準備作業への介入は、地元との調整を難航させる一因にもなった。沖縄問題で、一時的ながら「鈴木外し」にもつながったほどだ。官邸の基本方針から逸脱した行動は、北方領土問題での独走と重ね合わせて見ることができる。
 鈴木議員の転落は、今後の沖縄問題の処理に幸いだったと言えるかもしれない。
 政府筋は、四月に施行された沖縄振興特別措置法への鈴木議員の関与はほとんどなかったという。一連の疑惑で「死に体」となっていたからだ。

02621日付