★この年も沖縄は暮れも押し迫った東京で歴史の1ページをめくった。普天間飛行場の移設先が正式に名護市辺野古沖合と決まった。だが、リーフ(環礁)の上としただけで、それ以上の具体的内容はなかった。沖縄の将来を決めるのは、何故、年の瀬なのか。


核心評論「普天間代替施設」

◎条件順守求めた沖縄

 移設問題の本番はこれから

 東京・麹町の都道府県会館十階にある沖縄県東京事務所は、稲嶺恵一知事や岸本建男名護市長らを迎えて慌ただしい空気に包まれていた。年の瀬も迫った二十七日、沖縄県最大の懸案となっている米軍普天間飛行場の代替施設の建設場所が決まった。くしくも、普天間移設を名護市が正式受理した二年前と同じ日である。
 東京事務所内の興奮にも似た雰囲気は、懸案が前進したことでの満足感なのかもしれない。だが首相官邸での代替施設協議会の決定は、代替施設の場所を名護市辺野古沖合のリーフ(環礁)上とする方針を決めた以外は、さほど目新しいものはない。
 稲嶺知事と岸本市長は代替施設協議会後そろって記者会見、ともに今年の締めくくりとなった代替施設協の結論を高く評価した。

 知事は二年前を振り返って「感慨深い。沖縄の基地問題は現時点だけで考えられない。過去五十数年の歴史をひもとくものでないと」と心境を吐露した。一方の市長は「この二年間大変迷った。これから市民に対し重い責任を負った」と語った。
 だが同時に、知事も市長も二年前の代替施設受け入れ表明時に提示した七項目の条件を重ねて強調した。政府の努力や誠意を多としながらも、要求すべきは要求することを念押ししたわけだ。
 代替施設の建設場所が一応決まった意味は大きい。自然環境や生活環境面からリーフを外しての建設か否かの激しい議論に結論を出したわけだから、確かに大きなハードルを越えた。
 しかしながら飛行ルートや居住地域との近接の関係から、知事と市長らは協議会で代替施設を「可能な限り規模縮小」「極力沖側・北東への移動」を求めている。つまり「リーフ上」とはいえ、具体的地点は流動的だ。
 代替施設の規模は、当初の「海上ヘリ基地」(全長千五百メートル)が稲嶺知事の軍民共用空港構想で全長二千六百メートルに拡大され、建設場所とも絡んで施設の「大き過ぎ」が地元で物議を醸した。知事や市長が可能な限り代替施設の規模圧縮を求めたのはこのためである。

 建設場所が一応決まり、政府と県は代替施設の基本計画策定に向けて本格的協議に入る。日米間の緊密な協議も本格化することになるが、軍事的な必要性を重視する米側と、基地縮小を視野に置いた日本側の調整は、軍事情勢の判断も絡んで難航するのは避けられないだろう。
 特に基地使用協定の締結に当たっては、日米間だけでなく、政府と沖縄県の言い分が真っ向から衝突しかねない要素があることを認識しなければならない。
 加えて沖縄側の基地縮小の期待を担った代替施設の使用期限十五年問題は今回も先送りになった。稲嶺知事は「国民が等しく考えてくれなければ解決しない」と日米安保体制の偏在を国民が共有するようあらためて訴えた。
 今回の協議会は一つの節目となるのは間違いない。だが普天間問題の難しい各論はむしろこれからが本番である。来年度予算案や税制改革案は、政府の沖縄政策の転換点をにじませている。政治判断が求められる基地問題のかじ取りがどうなるか。次回以降の代替施設協議会が答えを示すのではないか。

011228日付