「論説」特集「世紀をひらく」(13)

◎真の日米友好のために

 「何となく日米同盟関係が必要なのかという空気が日本に漂っているようだ」

 在日米大使館筋がこう語ったことがある。同筋が懸念する日本国内の微妙な変化は、冷戦崩壊や朝鮮半島の和解の動きといった軍事情勢からのものだけではない。東西冷戦を知らない世代の増加や日米の経済摩擦、低迷を続ける国内経済が加わった複合的な要因が働いているという。
 経済大国同士が万事に波風を立てないで友好関係を維持することは難しい。経済的対立はあって当然だし、いかに乗り越えるかの努力こそが重要だ。
 だが、日米安保を前提とした両国関係が、経済分野で米側の外圧を強めていると感じている声は少なくない。こんな感情が少なからず影響しているのは確かだ。

 一昨年五月の日米首脳会談の共同声明に「共通の価値観」という言葉が盛り込まれた。当時の小渕恵三首相が提起したものである。
 文化、歴史、社会風土が異なる日米両国が自由、民主主義、基本的人権で共通の価値観を持つことは日米同盟関係を質的に強化する。両国首脳が共通の価値観で一致した意味は大きい。
 一方で、日米同盟には基地問題という難問が常に付きまとう。一九七二年の日本復帰以来の沖縄の基地問題であり、最近では米軍機による夜間離着陸訓練(NLP)や低空飛行に対する自治体の反発だ。
 沖縄県は、相次ぐ米兵犯罪で日米地位協定の改定にとどまらず、初めて海兵隊削減を要求する決議をした。NLP問題では大和市神奈川県)、三沢市青森県)、岩国市山口県)が抗議、恒例の交流イベントも中止した。「市の意向を全く無視」「日本を植民地扱い」など、米軍と友好関係を続けてきた首長の言葉とは思えないほど激しかった。
 ハワイ・オアフ島沖で米原潜が愛媛県の実習船に衝突した事故も世論を刺激した。
 これらは日米同盟を否定するものではないにしても、在日米軍の在り方に目を向けさせたのは確かだ。
 日米同盟は一九九六年四月の日米安保共同宣言で再定義され、日米防衛協力のための新指針(新ガイドライン)の策定、および周辺事態法などガイドライン関連法という形で整った。
 しかし、ガイドライン関連法の国会審議はあいまいだったし、周辺事態法が求める地方自治体や民間の協力取り付けは、浸透しているとは言い難い。法的整備で一応の枠組みができただけで運用面では数多くの問題が残されている。急ごしらえの同盟体制の欠陥だ。

 クリントン政権当時言われた「戦略的対話の不在」は日米関係の空洞化を心配させた。「同盟重視」を口にしながら具体的なアジェンダがないことへの米側の不満は根深い。
 沖縄の普天間飛行場移設問題や厚木基地に隣接する民間廃棄物処理場の排煙問題の処理などに表れている。
 在日米軍への思いやり予算問題は減額することで決着したが、米政府は思いやり予算を日米同盟に絡めた日本の世論に強く反発した。
 日米首脳会談や外相、防衛首脳会談で合意・同意する「同盟強化」は、“各論”に入っていない。
 日本側が同盟の信頼性に欠かせない懸案を遠慮気味に持ち出すのはなぜか。
 普天間移設の足かせともなっている代替施設の使用期限(十五年)問題で、日本側は「沖縄の意向を伝える」ことに終始している。日米地位協定も、「運用改善」から一歩も前に進もうとしない。
 米側への遠慮が、そうさせるのか。対米関係で“追随”とみられるようであってはいけない。
 沖縄基地問題で政府の説明が説得力を欠くのは対米関係を不安視するからだ。NLP問題で在日米軍を動かしたのは地元自治体の強硬な抗議で、政府の力ではない。
 ブッシュ政権は米軍を東アジアの安定装置とする一方で、兵力見直しに柔軟姿勢をにじませている。その対日重視姿勢は「役割分担」の要求でもある。
 アジア地域に新たな政治胎動が表れている。二十世紀の惰性を断ち切り主体的な同盟観を持って対米関係を確立する努力がなければ、アジア諸国の信頼も得られない。

01331日付