☆沖縄サミットが閉幕した。本稿は首脳会談を受けて、その後の政治、経済、沖縄問題の行方を占う評論企画(3回続き)の最終回。各回の内容は(上)日本にとって沖縄サミットは何だったのか=24日付朝刊以降使用(中)情報技術(IT)革命を掲げたが…=25日付朝刊以降使用(下)サミット開催で沖縄は変わるのか=26日付朝刊以降使用

評論企画「サミット後を展望する」3回続きの(下)「沖縄は変わるのか」

◎解消されなかった不信感

  道のり遠い基地問題

 緊張と歓声と抗議に包まれた三日間は終わった。
 主要国首脳会議(沖縄サミット)という壮大な政治イベントを終えた沖縄には、緊張から解き放たれた気だるい疲労感が漂っている。「平和と安定」を目指した沖縄からの発信は、ある程度できた。だが、懸案の基地問題の打開の糸口は見いだせなかった。サミットに期待された沖縄の変化は、依然遠い道のりなのか。
 サミット開催を契機に基地問題に穴を開けたい、が政府の偽らざる気持ちだ。沖縄の変化とは基地問題、とりわけ普天間飛行場移設で顕著な前進が図られることに尽きる。
 そのための地ならしが、十年間で一千億円の資金を県北部の経済振興に投入することに代表される法的措置も含めた各種の振興策である。つまり、普天間移設をにらんだ県を交えた政府と地元の態勢は、振興策に関する限り整った。残るは辺野古沿岸域にどんな代替施設を造るかを協議する協議会をいつ立ち上げるか。その上で使用期限十五年問題を、どう政治決着させるかに絞られた、と言える。

 サミット閉幕は、基地問題で政府が再活動を始めるスタート台になる。「サミットへの影響」という大きな呪縛(じゅばく)が解けたからだ。
 政府は昨年春から秋口にかけて普天間移設候補地決定に猛烈な攻勢をかけたが、移設容認の環境が醸成されると、サミットを念頭に静観の構えに転じた。昨年の状況を第一段階とすると、これからは第二段階を迎えると言えるかもしれない。
 とはいえ、現状打破は容易でない。地元の移設賛成派は代替施設の内容をめぐって内部対立を続け、九月の地方議会の審議も紛糾は避けられない。
 しかし、深刻なのは「十五年問題」の取り扱いである。米政府は使用期限に明確に反対だし、日本政府も否定的だ。一方の稲嶺恵一県知事と岸本建男名護市長は、ともに十五年で譲る気配はない。こんな政治状況に、移設反対運動が国際的な非政府組織(NGO)と連携の足掛かりをつかむという新たな要因が加わった。

 仮に普天間移設を県議会が昨年十月、地元の名護市議会に先行して方向付けしたような場面が再現されるにしても、対米交渉を含め余程の政治判断と地元対策が必要だ。その力量が今の政府に期待できるだろうか。
 クリントン米大統領は、米軍基地の重要性を説いて沖縄を離れた。日米首脳会談も期待外れだった。森喜朗首相からは最後まで沖縄へのメッセージがなかった。
 琉球大学の比屋根照夫教授は「日本政府が米政府とどう切り結んでやるかでサミット後(の沖縄が)が決まる」と言っていたが、結果は「沖縄の歴史や違和感を平準化、均質化するセレモニーで終わってしまった」と切り捨てている。厳しい現実が明らかになるほど、沖縄の怒りや不満は内面化することに気付かないで、サミット成功を自賛するのは的外れ、というわけだ。

 沖縄サミットの意義は、二十一世紀を見据えた東アジアの新情勢に対する日本の先見性や政治判断が打ち出されるどうかだった。森首相に戦略的対話はなかったが、太平洋戦争の激戦地にサミット各国首脳が集まった意味は大きい。
 自民党の野中広務幹事長は「そこからまた沖縄が始まる」と言った。新たな政治の幕開けを、沖縄は迎えた。

2000726日付)