沖縄基地問題はサミットの終了で新たな展開を始めたと言っていい。あれほど緊急性を言われながら普天間飛行場の移設は、地元が受け入れ条件とした「軍民共用」や「15年使用期限」が、どこかよそよそしい目で見られるようになった。沖縄サミット後の状況を4回続きで報告する。
 

連載企画「普天間移設の死角」4回続きの(1)「移設条件」

◎空回りしないか軍民共用

 詰めきれない沖縄側の条件

 昨年七月の主要国首脳会議(沖縄サミット)から七カ月が過ぎた沖縄を訪ねての実感は、サミット開催がはるか遠くに過ぎ去った出来事との思いである。
 懸案の米海兵隊基地、普天間飛行場移設の環境醸成が期待されたが、厳しい現実は変わらない。着実に進む経済振興策の裏にうずく感情は、「本当に移設はできるのか」と言えるかもしれない。

 普天間飛行場の移設が順調に進展するか否かを判断する材料は今日、名護市辺野古沿岸域に予定される代替施設が沖縄側が要求するように民間航空機も利用できる軍民共用空港となるか。それに、代替施設の使用期限十五年の取り扱いに集約されるだろう。
 軍民共用空港は政府方針として一昨年暮れ閣議で確認、十五年問題も「要望を重く受け止め米政府との話し合いで取り上げる」とした。だが、この方針は詰められてはいない。
 政府は普天間飛行場の移設条件や代替施設の工法・規模を検討する「代替施設協議会」で移設の基本計画を早急にまとめる考えだが、これに「待った」をかけた形になっているのが十五年問題である。
 政府は、十五年問題は国内問題と平静を装い、米政府も介入がましい言動は避けている。表面的には確かにそうだが、内実は少し違うようだ。両政府実務者の会合では、互いの言い方に違いが表れないよう綿密な打ち合わせが行われたり、在日米大使館が非公式に沖縄の意向を打診している。
 その中で沖縄経済界の有力者は先ごろ、普天間返還と代替地問題を分離して考えるよう求めるとともに、十五年問題は米国との協議事項ではないとの私信を米大使館に送っている。
 名護市の岸本建男市長は、代替施設の着工前に使用期限を決めるよう政府に確約を迫り、稲嶺恵一知事よりも強硬だ。この知事も昨年秋の協議会以降、十五年問題に言及する機会が増えている。
 軍民共用空港案は、ほぼ保証されたから「最も難しい」(県幹部)十五年問題に力を入れだしたのだろう。ところが、代替施設の規模や工法の具体的検討が始まるにつれ、共用空港とした場合の難問が浮き彫りになっている。
 例えば米軍施設に加えて民航施設としての機能が求められるため、米軍専用よりも大規模化せざるを得ない。その結果、環境保護や建設場所がより大きな問題になる。現那覇空港の拡張工事計画との兼ね合いをどうするかも避けて通れない。

 軍民共用空港を前提にした代替施設だが、自民党沖縄県連幹部の言い分は違う。この幹部は「個人的な考えだ」と断りながら、「知事がいつの時点かで軍民共用の考えを軌道修正するかと待っていたが、何もない」と言う。十五年問題でも県議会与党との連携はない。
 知事の議会対策の足らなさが、普天間移設に暗雲となりかねないとの与党の不安をにじませたもので、移設をバックアップする与党の不満とも言える。意思疎通を欠いた主張は力強さに欠け、政府との交渉でも説得力はない。ひいては政府の対米折衝に影響する。
 つまり軍民共用空港は決着済みとは言えないし、まして十五年問題は日米同盟関係に深くかかわる。日米両政府と沖縄を交えた三者のきわどい駆け引きがすでに始まっていると見ていいだろう。

(01年2月26日付)