【麻生首相、沖縄訪問】

◎沖縄の何を見に行ったのか

「鶴瓶の家族に乾杯」というNHKの人気番組がある。
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9日の放映は沖縄県糸満市が舞台だった。糸満市は「海人」(ウミンチュ)のまちだが、糸満美人の里でもある。シナリオなしに出会った人とぶっつけ本番の「掛け合い」をやるのがこの番組の売りだが、さりげなく触れたのが、このまちが沖縄戦最後の激戦地だということである。
 見た目には華やかな観光地に変身して、私が取材で走り回っていた遠い昔の本土復帰前後の雰囲気は全くないが、今でも戦時中の不発弾が見つかる。ガマと呼ばれるいたるところにある壕では、遺骨・遺品がまだまだ眠ったままだ。そんな現実を思い出しながら番組を見た。
 今月7日、麻生太郎首相がこの沖縄を、日帰りの慌しい日程で訪れた。もちろん、就任後初めての訪問だ。昼前、那覇空港に到着した首相は糸満市の国立戦没者墓苑で献花を済ませるなどしてホテルに直行、建設業協会など地元の保守系団体代表らから要望を聞いた。総選挙をにらんだ沖縄行脚だから、地元との話し合いは分刻み。午後7時過ぎ那覇空港を離れたが、出発1時間前までホテルを一歩も出なかった。

 多忙な首相とはいえ、1カ所にとどまって陳情を聞いて済むほど沖縄訪問は軽くない。
 沖縄にとって最大の懸案である基地問題を見れば、1996年に日米両政府が基本合意した普天間飛行場の
名護市のキャップ・シュワブ沖に移す計画は、いまだに決着には程遠い。2月の日米外相会談で署名した「沖縄駐留海兵隊のグアム移転に関する協定」が、地元の頭越しだったことへの不満は大きい。
 ところが首相は、仲井真弘多知事との会談でも基地問題に具体的に言及せず、講演では一言も触れずじまいだった。「いったい、何をしに沖縄に来られたのか」と知事周辺が首を傾げるほどだったという。普天間問題をぶり返すことにつながりかねない言動を避けたということだろう。 理解し難いのは、那覇市内のホテルからそう遠くない宜野湾市の普天間基地にさえ首相は行こうとしなかったことだ。本来なら、名護市の移設候補地に足を運び、地元が不安がる問題への「関心」を示して見せる政治的なパフォーマンスがあってもいい。日米新協定について一言語るべきだったが、それもない、基地の視察もない、ホテルで地元の陳情に耳を傾けてみせるだけでは、「何しに来たのか」と人々が思うのももっともである。
 琉舞道場の視察や子供との交流が大事でないとは言わないが、首相としてやるべき大切なことを何故か脇に追いやってしまった。

グアム移転協定をめぐっては、政府と地元の協議の場となるはずの移設協議会は設置されただけで実質的な機能を果たしていない。水面下の協議が続いているとは言うものの、麻生内閣発足後の政治的状況を見れば、それすら行われていないと言っていい。沖縄の言い分を聞いてはいるが、政府筋が好んで使う言葉を引用すれば「粛々と日米の作業を進めている」となる。
 普天間問題の重要性を取り上げるのは、問題が在日米軍再編の根幹を成す極めて高度な政治的問題だからだ。米国のオバマ新政権も、在日米軍再編と普天間飛行場移転は切り離せないことをブッシュ前政権から引き継いでいる。その普天間移設は沖縄海兵隊のグアム移転と不可分だ。そうした問題であるにもかかわらず、麻生首相は具体的に触れようとしなかった。

首相の日帰り沖縄訪問は、過去になかったわけではない。琉球政府最後の行政主席で、復帰後初めて公選知事となった屋良朝苗氏の県民葬(19974月)に参列した故橋本龍太郎首相、小渕恵三首相の急逝で登場した森喜朗元首相の沖縄サミット準備状況視察(20005月)などがあるが、いずれも首相としての沖縄への配慮を見せている。
 日米、東アジア情勢を考えるまでもなく、沖縄問題は政治的な優先課題であることは間違いない。麻生首相の沖縄観が、そうした認識から外れているとは思いたくないが、主要閣僚ポストと自民党の要職を経験した首相にしては、どうにも理解に苦しむ今回の沖縄訪問だった。

沖縄問題について政治的関与を求め過ぎるから、現実の政治的対応に県民の多くの人の不満が表れるのかもしれない。であればこの際、問題の政治的風化を踏まえたうえで、沖縄から率直に政府に対する抗議の意志をぶつけたらどうだろう。自分たちはこうしたい、ということを明確に示すべきだ。ぬるま湯のような状態で国との関係を保ち続けることは、沖縄の自立にとって全くプラスにはならない。

09310日)