【清正石】


◎「清正石」に馳せる漁師の思い

 伊勢志摩国立公園は1946(昭和21)年、戦後初の国立公園に指定された。紀伊半島の東に飛び出した志摩半島を中心に、半島南部の英虞湾、五ケ所湾とその西に広がる南伊勢町の海岸部や伊勢神宮宮域林一帯を含む。
 この歴史と伝統文化に富む風光明媚なわが国を代表する、観光地の東側に位置する的矢湾を囲むように伸びる半島の先端に建つ安乗灯台(志摩市阿児町)は、灯台守の生活を描いた映画、木下恵介監督の「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台の一つとなった。
 安乗地区は天然のトラフグ「あのりふぐ」で有名で、今年も29日、伊勢神宮に地元の「志摩の国漁業協同組合」のあのりふぐ協議会による「あのりふぐ」献納の儀式が行われた。
 献納の様子を見ようと阿児町を訪れたのだが、献納の後、協議会長の浅井利一さんの案内で安乗漁港の一角に祀られている「清正石」にお目にかかった。

 「清正石」は巨大な長方形の花崗岩。地元古老によると、「清正石」は慶長151610)年、徳川家康の命で始まった名古屋城築城の天主造営を命じられた加藤清正が城壁に使おうと運び込もうとした大切石だという。
 志摩市は阿児町志摩町など周辺の旧5町が合併して誕生したが、旧阿児町の文化財調査委員会がまとめた「阿児の石造物」には次のように記されている。

「安土桃山時代の勇将加藤清正が名古屋城築城の際、瀬戸内海から城壁に使う大切石を帆船の両翼に水面に浮かべながら名古屋へ運ぶ途中、安乗沖で水船になり、急遽安乗に入港し飛脚を送って替え船を要請したところ、『其ノ儀ニ及バズ』とのことで、綱を切って安乗沖に捨てたが、漁港改修に差支えたためクレーン船で引き揚げたのがこの石である。正面切り口に印と、その下に(六角形)の印が見え、加藤家の家紋蛇の目紋と酷似しているが正確なことはわからない。対であったもう一基はいまだに海の底に沈んでいる」

水船とは浸水した船のこと名古屋城公式ウェブサイトによると、名古屋城築城にあたっての石引にまつわるエピソードとして、石引きの途中、修羅(巨石運搬用の(そり))から落ちた石は、落城につながるといって嫌われ、その石は石垣に使うことはなく放置されたそうだ。この説を当てはめると、安乗漁港に避難した水船の大切石は縁起が悪いので使えないということになる。
 安乗沖で水船になった帆船が運んできた大切石はきれいに角が取られ、正面が縦横それぞれ150センチ、長さが3メートルの薄茶色の花崗岩で、重さは約20トンである。 海底から引き揚げられたのは昭和14年だという。 大切石は長い間港の漁協内に置かれていたが、漁港の改修事業に伴い昭和53年に漁協事務所の脇に移され、これが昨年漁協敷地の端に造られた祠に「清正石」として安置された。

 
この「清正石」が運ばれたルートについて、「阿児の石造物」は瀬戸内海から帆船で運んだと記している。瀬戸内地域での花崗岩産出地として有名なのは全国の花崗岩の3大産出地とされる香川県高松市の「庵治石」だが、ほかにも小豆島、白石島などが産出地として知られている。
 町の記録どおりだとすると、大切石を積んだ帆船は和歌山県の沖合を通って熊野灘から伊勢湾に入ったと考えられる。
 高松市のホームページによると、庵治石は水を含みにくいため風化・変質にも強く、200年は彫られた字が崩れたり、赤茶色に変色したり、艶が無くなったりしないといわれる。天主の城壁にはもってこいの大切石と見ることもできるが、安乗の「清正石」が庵治石と断定できる証拠はいまのところない。

城壁の石垣を造るに当たって、石切屋はいろいろな印を石に刻んだという。○を2つ重ねた巴紋に似たものや自在鍵模様、自動車の運転免許取りたての若葉マークのようなものなど数え切れないほどさまざまな刻印がある。刻印は、いわば作者を表す印である。
 例えば加藤清正の居城熊本城の石垣や金沢城の郭を回ると石垣にはびっしりといろんな形のマークがついているという。また、清正が亡くなった後建立された熊本市内にある日蓮宗本妙寺の石畳には無数の刻印が施されている。
 家康が築城を命じた名古屋城の場合は、諸大名が自藩と他藩との違いがわかるような刻印を入れたようだ。
 安乗の「清正石」にははっきりと「蛇の目紋」が入っているが、○(丸)印には「魔よけ」の意味もあるらしい。だが、角をきれいに切り取った長方形の花崗岩は、城壁の角に使われる巨石と想像することができると専門家は言う。

その巨石に刻まれた刻印は「蛇の目紋」だと断定はできないまでも、海の男、安乗の漁師たちが自分の庭のような目の前の海で起きたと伝えられる出来事の、遠い歴史に思いを馳せる姿はロマンに満ちている。
 「清正石」を安置した祠を造ろうと奔走した浅井さんは、天然フグ「あのりふぐ」をかけがえのない地域ブランドとして全国にその名を知らしめた功労者である。
 漁師の「清正石」に寄せる夢は膨らみ続ける。安乗の漁師が持つ誇りを、歴史のはるか彼方の加藤清正に結び付けたい。

09年年2月21日)

天然トラフグ「あのりふぐ」の水揚げ港である
安乗漁港の一角に「清正石」を安置する祠が建つ。
(三重県志摩市阿児町安乗)