【知事取り込み作戦】

◎甘い言葉に乗せられるな

 解散はあるのか。あるとすればいつなのか。

総選挙の時期をめぐって、議員心理は麻生首相の迷走発言に翻弄されている。09年度予算成立のめどが付く3月以降、政局は緊迫の度を増すだろうが、自民党はその際、「地方の反乱」に見舞われた一昨年の参院選を教訓に、地方対策に全力を投入する段取りを進めているという。
 かつて自民党の金城湯池とされた農山漁村票は、猫の目行政の農政が仇となって自民党離れが著しい。郵政民営化では集票マシーンの特定郵便局が離反した。何も彼もが自民党に逆風となっているのは、政権与党の座に安住して時代の変革に無頓着過ぎたせいなのだが、それがどれ程深刻なのかを、自分の議席が守られるかでしか見ることができない。現状認識がまるでない。
 支持率低下に危機感を抱くのは当然なのだが、政策そのものを有権者が信用しないから正攻法の選挙戦はできない。そこで自民党選挙対策本部が編み出したのが、人気者の知事の力を借りて地方票を取り込もうという作戦らしい。

自民党がターゲットにしているのは、宮崎県の東国原知事や大阪府 橋下知事らのように、地元だけでなく全国的に人気の高い首長のようだ。彼らに自民党の地方政策を誠心誠意説明して味方になってもらおうという算段である。
 だがこのアイデアは、人気知事らの発信力を使って落ち目の支持率を引き上げることができれば、有権者の不信を買ったこれまでの「選挙の顔」をはるかに上回る成果が期待できるかもという、何ともはかない期待としか言いようがない。
 「小泉劇場」を再現できないまでも、国民の関心を引きつける新しい選挙の顔は人気者の知事というわけだ。

地方分権改革が動き出してから、知事は国から権限と財源を奪う敵対する存在と位置づけられてきた。分権改革を掲げて霞が関の中央省庁に真正面から闘いを挑む知事は「改革派知事」と呼ばれ、国にとっては目障りな首長だった。
 そういった知事が力を振るった「闘う知事会」を引っ張ったのが前岐阜県知事だった梶原拓・前全国知事会長だ。
 ところが、現在の知事会にはその迫力がない。改革派知事が次々と表舞台から去ったからだ。47都道府県知事の半数を超える官僚OB知事は行政事務には長けているが、有権者を引きつける魅力に欠ける。住民との接点で官僚OBの限界も見える。

 そんな中で、突然降ってわいたように登場したのが東国原、 橋下両知事だ。東国原氏は率先して県産品のトップセールスをやり、県の知名度を上げた。 橋下氏は府庁職員に「皆さんは倒産会社の社員」と言い放ち、財政再建に大ナタを振るっている。タイプは違うが、両氏とも地元優先を貫いていることだ。支持率は政府、自民党がうらやむほどの高率である。
 この両知事に煽られたわけではないだろうが、このところ他の知事たちにも新しい動きが表れている。国の直轄事業では熊本県の川辺川ダム、滋賀県の大戸川ダム計画に関係知事は「ノー」を突きつけ、さらには国から一方的に回された大型公共事業の追加負担を断るなどで中央省庁を慌てさせている。

知事の人気にあやかりたい気持ちは分からないわけではないが、落ち目の自民党がにわかにもみ手で擦り寄ってくる魂胆を知事たちはとっくに気づいている。知事も人の子だ。大物政治家が腰を低くして頼みに来れば、そう冷たく突き放すことはできない。
 だが、ここで知事たちに踏ん張ってもらいたいのは、永田町と霞が関は一筋縄ではいかないからだ。地方自治体が口を酸っぱくして求めてきた分権改革に大手を広げて反対しているのが自民党だし、その政治家を裏で動かしているのが霞が関の官僚という現実を改めて直視してもらいたい。
 分権改革が思うように進まないのは、事務レベルで事を処理しようとするからだ。政治主導の改革に持っていかなければ、改革の前進は期待できない。その担保を、口約束ではなく党の方針として取り付けなければならない。政治改革同様、霞が関改革がなければ分権改革はあり得ない。
 自民党の地方へのお願い行脚に甘い顔を見せることがあってはならない。
 世界不況の中での政治の混迷は困ったものだが、知事をはじめ首長たちにとって、このまたとないチャンスを生かさない手はない。

09215日)