三重県津市で開かれた「農山漁村のつどい―今こそ活かそう農山漁村に私の力を」で体験を話す伊藤さなゑさん。
(三重県総合文化センター、09年1月30日)

【農の力】

◎私は根っからの農家の女

 三重県桑名市長島町は、木曽川、揖斐川、長良川の木曽3川に挟まれた南北に細長い町である。
 この町にJA全国女性組織の先頭に立って農業問題に取り組んだ伊藤さなゑさんを訪ねたのは1月末だった。訪問の目的は、ごく当たり前の農家の女性が農協を代表する存在となり、今なお農業の現場で指導、教育に当たっている人物とはどんな人なのか知りたかったからだ。
 折しも、わが国の農業は食の安心・安全、地産地消、食料自給率など難問を突きつけられている。加えてコメの生産調整の見直しを含めた農政の大転換さえ予想される時期を迎えている。
 1年前、中国からの「毒ギョウザ」が明るみに出た。手軽に、そして安く手に入る中国からのギョウザ事件が発覚したのは、あろうことか最も信頼されるはずの生協で売られたものだった。
 毒ギョウザに続いて「産地偽装」「食品偽装」「賞味期限の改ざん」といった消費者の信頼を裏切る事件が続発、食の安心・安全が根底からひっくり返った。「事故米」では農水省のデタラメな検査が浮き彫りとなり、食に関する行政の信頼も地に堕ちた。
 消費者の疑心、不信が渦巻く中で、生産者たち、とりわけ農家の女性たちは何を考え、どう動いているのかを、伊藤さんの口から聞きたかった。

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伊藤さんは、父親の戦死で中学校卒業と同時に家業の農業に就いた根っからの「農の人」だ。70を超えた今でも農業に手を染める。
 近鉄・長島駅で出迎えてくれた伊藤さなゑさんが運転する小型のワゴン車に乗って長島町東殿名に行くと、自宅近くのコメの減反で空いた農地を使った金魚の養殖池に「一匹3万円」はするという金魚が群れをなしていた。金魚をにらんで、すきあらばとばかりにあぜ道を猫がのそりのそり歩きながら狙っていた。
 伊藤さんは車を止めた。
 窓を開けて「こらー、あっちへ行け」。猫はすごすご池の傍から姿を消した。

 車が動き出し、「こども農園」の立て札が立つ畑に着いた。ここで、子供たちに季節の野菜の作り方を教えているという。もちろん無農薬栽培だ。
 はじめは野菜につく虫を怖がっていた子供たちも、平気で手でつかむようになった。
 「農薬を使った野菜はうまくないから虫は食べない」。野菜に虫がつく意味を子供たちはすぐ理解した。虫も怖くなくなった。
 こども農園にやってくる子供は100人。11000円(1年)の会費を払って農作業の楽しさを学んでいる。野菜嫌いの子供が、ウソのように野菜を口にするようになったという。土いじり、野菜栽培がおもしろくてしかたがないらしい。
 子供たちに対する「食育」で、伊藤さんは教科書では覚えることができないことを畑という教育現場で体験させながら教えているのだ。スーパーや店でしか買えない野菜を、子供たちは自分で育て収穫している。こども農園は子供だけでなく、農に対する親たちの心まで変えてしまった。

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伊藤さんは、地元農協の婦人部長や県のJA女性連絡部長をこなし、農業問題と女性の社会参画を身を持って学ぼうと北欧視察団に参加、海外研修で農業と女性の関わりを体に叩き込んだ。
 2001年、伊藤さんはJAの全国女性組織協議会の会長に就任する。協議会発足50年の記念すべき年に女性組織の先頭に立ったのである。
 伊藤さんのもう一つの顔は、「女性問題」の固い信念。女性は自立しなければならないと言う。そして、男と対等の男女共同参画。人権問題でも一家言を持つ。男女共同参画社会づくりの功労者として昨年の内閣総理大臣賞を受賞した。
 経歴から見ると、伊藤さんはたぐいまれな活動家と映る。が、実際に会って話してみると、「私は生まれつきの百姓」が口癖だ。話し言葉も穏やかで、相手を諭す風でもない。自分の体験を基に農業の道を静かに話す。
 伊藤さんは地元で「すし工房」を仲間とともに営んでいる。箱寿司、弁当をつくっている。「工房」を始めたのは、コメの減反が進む中でコメの需要を伸ばし、併せて地元で取れる食材を使って地産地消を実践することだった。
 工房の仕事は女性の自立の手段でもある。夜中の午前2時ごろから工房の仕事は始まる。努力のかいがあって納入する寿司も弁当も人気は上々だ。

 木曽3川に挟まれた長島町は歴史的にも興味深い土地である。
 長島町のほぼ中間、揖斐川と長良川を渡る国道1号の伊勢大橋と下流の国道23号の揖斐長良大橋のほぼ中間の対岸にある「七里の渡」は、江戸時代の熱田神宮の門前町で「熱田宿」とも呼ばれた尾張の「宮の宿」から海上7里を舟で渡った伊勢(三重県)の「桑名の宿」の入り口に当たる。
 伊勢の国の東入り口に当たるそこには、伊勢神宮の「一の鳥居」が建てられ、今でも当時の面影を見ることができる。
 長島町の堤防を走る道路から見る光景は、木曽3川の悠久の流れを思わせるほどの包容力がある。細長い町をまたぐように北から東名阪自動車道、伊勢大橋と尾張大橋、揖斐長良大橋、そして南端を伊勢湾岸自動車道が走る。このほかにもJRと近鉄の鉄道橋が横切っている。
 伊勢湾を挟んで愛知県三重県をつなぐ交通の要衝だが、江戸と京都、大和(奈良)を結ぶ数多くの歴史、文化の足跡を見ることができる。

0925日)