【山形知事選】

◎「温かさ」が「改革」を負かした

 山形知事選は、無所属新人の吉村美栄子氏が現職の斎藤弘氏を抑え初当選を果たした。
 選挙結果のポイントは、有権者が改革の実績を誇る現職よりも、「温かさ」を前面に押し出した新人候補に明日の山形を託したことだ。
 2期目を目指す現職は選挙に強いと言われる「常識」が覆されたことの意味は大きい。しかも、保守王国の
山形県で起きたことに着目すべきである。

 両候補とも脱政党を掲げたが、支援した政党の枠組みは国政を投影した形だった。いずれも、単なる地方選挙の枠を超えた国政が問われる問題であるゆえに、その反響は大きい。
 斎藤氏を応援したのは、保守陣営に足並みの乱れはあったが県議会の多数与党にとどまらず、加藤紘一・元自民党幹事長らが強力に推したし、終盤では公明党の支援も取り付け負けるはずのない選挙戦だった。
 対する吉村氏は行政には素人だが、県のいくつもの審議会委員を務め県行政を見る目はしっかりしていた。その目で、改革に邁進する現職に対し、「温かみのある政治」を訴えた。

 4年前の知事選で斎藤氏が当選した時期は、小泉改革が敵なしの状態で突き進んでいたころだ。日本銀行出身で金融行政に明るい斎藤氏は、県が瀕する財政問題の処理には打ってつけのリーダーだったし、事実、県財政の立て直しに実績は残した。
 だが、この数字の上での実績は一方で厳しい行政の姿を表した。医療、福祉、教育といった県民生活に身近な問題は、財政問題でひとくくりにはできない難しさがある。
 地方の中小都市の疲弊は格差社会の実態を示している。特に、中山間地を抱えた自治体にとって中央レベルでの改革は実生活に馴染みにくい。農業県山形の現実は、改革に伴う厳しさとは別の「温かみ」を求められていたのである。

斎藤氏と吉村氏は、エリート行政マンと庶民感覚の主婦の闘いと言い換えることができるかもしれない。
 知事選や大都市・拠点都市の首長の選挙では、行政経験の豊かさや知名度が候補者の選考に当たって重視されてきた。地元出身とはいえあまり馴染みのない官僚出身を担ぎ出すのが、少なくともこれまでの選挙戦のパターンだった。特に、保守陣営にその傾向が強い。その結果が、全国的な官僚OBの首長の誕生につながった。
 だが、こうした中央での実績だけを頼りにした候補者選定は選挙戦を勝ち抜くための手段だということを有権者は十分見抜けなかった。
 自前の候補者というより、地元出身とはいえ「輸入人事」の色彩が濃い。このことは、いきおい地元感覚を通り越した中央レベルの感覚を当てはめることにつながる。

 小泉首相の構造改革路線が全国的な格差社会の広がりにつながったことは間違いない。衆院と参院の与野党勢力が逆転する、いわゆる国政のねじれ現象があるとはいえ、改革に対する地方の民意が山形知事選に表れたと言っていい。
 もちろん、地方政治を国政と切り離して考えることはできない。だが、国政を地方政治に丸ごと当てはめることはできないはずだ。地方には、それぞれの地域性、特色があり、一律の政治・行政でくくることには無理があるからだ。
 それゆえ、地方分権の大切さが認識されなければならない。
 ただ注意しなければならないのは、選挙結果が以後の県政運営に具体的に取り入れられるかどうかだろう。
 吉村新知事を迎える県議会は多数野党だし、県行政を預かる県庁職員にとっても新知事のマニフェストをどれくらい理解しているか不透明だ。議会だけでなく足元の県庁内での抵抗も十分予想できる。吉村氏の勝利が1万700票の僅差だったことも、吉村県政の舵取りを難しくするだろう。
 吉村氏を当選させた有権者の責任は、これからより大きくなることを忘れてはならない。

09131日)