【自治体の不正経理】

宮脇 淳(地方分権改革推進委員会事務局長、北海道大学公共政策大学院教授

「不正経理問題で分権が否定されるわけではない。むしろ分権という軸の中で新しい自治体を作っていくきっかけにするべきだ」

聞き手……尾形宣夫「地域政策」編集長

写真・【略歴】

宮脇 淳(みやわき・あつし)
1956年東京都生まれ。
79年日本大学法学部卒。参議院事務局、(株)日本総合研究所主任研究員(その後、主席研究員)を経て96年北海道大学法学部・大学院法学研究科教授に就任。日本総合研究所主席研究員に転じ、98年10月、北海道大学大学院法学研究科教授に復帰、同大学大学院法学研究科教授兼高度法政教育研究センター教授。2007年4月、同大公共政策大学院初代院長、2007年4月、内閣府参与および地方分権改革推進委員会事務局長に就任。
主な著書に『財政投融資の改革―公的金融肥大化の実態』(東洋経済新報社)『図解財政のしくみ―いっきにわかる財政危機の本質と問題点』(東洋経済新報社)『行財政改革の逆機能』(東洋経済新報社)『「公共経営」の創造―地方政府の確立をめざして』(PHP研究所)『財政投融資と行政改革』(PHP研究所[PHP新書])『公共経営論』(PHP研究所)など。

☆会計検査院の2007年度決算検査報告

官庁や政府出資法人の税金の無駄遣いや不正経理は981件、総額1235億円。件数・金額とも過去最多。京都、愛知、岩手など12道府県の不正経理は113700万円。うち国庫補助金は5億5600万円、残りが自治体単独の事業費。単独事業費を含めた不正額の最高は愛知県31000万円、次いで岩手県2300万円。架空発注による業者への「預け」は岩手、愛知、京都、長野、栃木、和歌山6府県で計1400万円。愛知は「預け」を裏金と認めたが、他5府県は認めていない。

組織体質として緊張感がない

尾形 国からの補助金をめぐって会計検査院が12道府県の不正経理を指摘、大きな波紋を広げています。報告で明らかになった事例は、地方自治体に公金を扱っているという感覚が欠けていることで、国民の不信感は高まる一方です。不正経理は今回に始まったわけではなく、毎年のように起きています。

宮脇 私の専門の行政学から考える場合、共通している点を制度面と人間行動の面から見ていく。この問題で大きな原因を挙げるとすれば、行政組織、自治体の公金というものに対する意識が低いということは言わざるを得ない。公金意識が低いのは、税に対する意識が十分じゃないからだ。
 民間企業でいうと、収益を上げてその収益をどのように使うかという意識になる。組織内に製造・営業などカネを稼ぐ部分と、そこで稼いだカネを使用するコスト部分とが同居しており意識が共有されやすいが、役所の徴税部門と実際に支出する部門の距離も大きく、公金という意識が非常に薄れてくる。
 それと、今回のような問題で言うと、補助金は、なおさらその意識が薄れると思う。補助金というと、よく使われる表現は「貰った」という言葉。国から補助金を「獲得できた」とか、「貰った」とかと言われる。同じ自治体内でも徴税部門と支出する部門は遠いが、補助金となると、国税として徴収したものを使うわけだから、公金意識はもっと遠くなる。そうすると、組織体質としておカネに対する緊張感がなくなる。
 不正が指摘されてきたときには緊張感は走るが、時間が経過すると(緊張感が薄れ)同じようなことがまた起こってしまう、体質的に繰り返すという側面がやはりあると言うことは否定できない。

▽補助金の物差しは各省バラバラ

尾形 今回の問題は12道府県に限定したものですが、他都道府県についても同様の疑惑の目が向けられています。不正を指摘された多くの知事は釈明に追われ、謝罪もしましたが、中には「見解の相違」として反発する知事もいました。「なかった」はずの裏金が現れたことは、組織内で徹底した調査がなされてこなかったからです。愛知県がいい例です。

宮脇 自治体内の問題として捉えるならば、ガバナンスが十分機能していないということだ。どういう組織でもそうだが、常にそういう不正を発生させる温床はある。裏金というのは、人間行動の中でもどうしても発生するものだ。だから、こういう問題あ常に発生するという意識で日々チェックを入れないといけない。「ない」という風に言い切れること自体が、ガバナンス力が弱いと言わざるを得ない。
 おそらく、「見解の相違」と言ったところは、裏金という言葉に反応して「流用とかはあったかもしれないが裏金じゃない」というような理屈だろうと思う。ただ、説明をするときに十分に他の事例と比較して説得力ある説明ができるか、不正というものがあることは当然だという前提に立って日々チェックをかけたり、意識を持っていかないと、この問題は繰り返しになると思う。

尾形 裏金意識がないということは、要するに、補助金として貰ったカネを補助事業に関係する仕事だから使ってもいい、と勝手に解釈したからのようです。

宮脇 これはまさに裏金と言えるかどうかのモノサシの問題ではないか。指摘した点は、私は制度問題が大きいと思っている。
 今の補助金制度というのは、解釈権が国にあって、しかも各府省ごとに補助金執行に関する解釈が違う。府省ごとだけでなく、局ごとでも担当ベースでも違うということが平気で起こる。そういう解釈の物差しが不明確な中で、国側に主に解釈権がある。で、会計検査院はそういうものをベースにして一つのモノサシで判断する。
 そうすると、自治体の側から言うと、自分たちの説明とか主張というものができるところがない。もちろん、だからといって公金に対する不正が正当化されるとは思わない。自治体側もちゃんと国民に謝罪したうえで、やはり国との関係が根本的におかしいと言うことはちゃんと言わないといけない。

尾形 同じことの繰り返しになるわけですね。

宮脇 その度に謝るのは自治体側という構造になってしまう。

尾形 自治体に問題が多いことは当然なのですが、国の責任も免れない。目的が細分化された補助金制度自体に問題の遠因があると全国知事会は言っています。

宮脇 その点はきちっと整理しないといけない。補助金制度に問題があるのはその通りで、しかし一応それも制度で、民主主義の中で成り立っているからそれには従っていかないといけない。それによって疑義が生じた場合には謝罪する。しかし、それでは終わらないわけで、民主主義の中でやっていこうとすれば、新しい制度をきちっと主張して、国側もそれを受け止めて議論していくということが不可欠だ。

▽監査委、議会の機能強化が必要

尾形 そういう意味では、自治体が不正に目配りをするのは当然として、同時に県の監査委員とか議会の監視のチェック機能が効かなかった。

宮脇 都道府県の監査委員は、本当の意味での抑制力になるチェック機能を残念ながら果たしていないのが現状だし、果たせるような仕組みというのにも十分になっていないという問題点がある。

尾形 何故ですか。やはりOBがそのポストに就くとか。

宮脇 人的構成もそうだし、やはりルールとかやり方を変え、ちゃんとチェックできるようにしていかないといけないし、変えていかなければ駄目だ。やはり、官の経験だけの人では無理で、違った視点からこういう問題もあるんじゃないか、という気づく人が必ずいないと(チェックは)そもそも無理な話。

ところが、監査委員や監査部門が会計検査院も含め公的部門の方々が中心となって同じような視点でやるから、どうしても(違った視点からの監視の目が)抜け落ちる。だから、民間の方にも入ってもらうとか、とにかく違った視点で問題点を掘り起こす作業が必要だ。逆に言うと、問題点をどんどん掘り起こすことがいいんだという体質に、もっと前向きに受け取っていかないと、また隠すという行動になる。

尾形 一方で、議会についてはどう思いますか。

宮脇 我々の地方分権改革推進委員会でも、議会の機能を強化しないといけないと思っている。特に補助金問題に関して言うと、地方議会で今まで国の補助金がついたものに「これは本当に必要なものか」という議論をされてきたことがどれだけあったか。国から財源がついてくれば、これは当然やることであるという意識があったから、本当に必要なもの、必要な使い方がされているのかといった視点が十分じゃなかったと思う。
 議会はやはり、行政部局、執行部局に対しての抑制を働かせて、地域の意識を反映させる組織だから、単に批判ではなくて、こういう問題を繰り返されている土壌が自分たちも含めてどこにあるのか、という問いかけ方をしてもらいたい。

単に、監査委員会が十分じゃないとか、人選をどうするかとかという問題だけではなくて、じゃ議会が予算決算の時にどれだけ議論したか、あるいはそれに必要な情報をちゃんと求めてきたか。そして、最後は議会だけで出来ることにも限界があるから、自分たちで出来ないものは住民にオープンにして問いかけてもらうという姿勢も必要だ。そういう財政情報をきちっと提示していくという機能も持たないといけないと思う。

▽公会計制度の盲点

尾形 行政分野での情報公開がこの数年かなり進みました。その中で、政策についての情報公開を求める声はあっても、今回の検査院報告にあるようなカネの使い方についての情報公開はなかったようです。

宮脇 これは政策評価とはかなり違う、公会計の世界の問題で、非常にマニアックな世界になってくる。公会計はマスコミも含めてそうなのだが、予算の時はすごく大きな問題として取り上げられる。公会計というのは民主主義の中で価値観は議会で先に予算という形で決めてしまう。決まってしまうとマスコミは関心を持たなくなってしまう。当然決定したとおりに予算は使われたはずだという前提に立ち、不正がない限りほとんど報道されない。
 公会計はそういう意味でいう、外からの関心ということからも非常に距離感を持つ中でやられてしまう。プロになればなるほど、蛸壺に入りやすい。手段を駆使して裏金だとか飛ばしだとか、いろんなことをやってしまう。
 やはり公会計の仕組みというのは、企業会計と違って外からはなかなかチェックできにくい。公会計という仕組みももっとオープンにして、企業会計のようにきちっと見られるような仕組みにしていかないといけないんだろうなと思っている。

尾形 企業の場合、経営者はちゃんと株主に対して説明しなければならない。ところが、国も自治体も予算が決まるまでは大騒ぎをするが、決まってしまうと大部分の人は関心を持たなくなります。不正経理は、そこにズバリ問題があるということを突きつけたような感じがします。

宮脇 不正経理という問題は、不正かどうかという評価は別として、一定の仕組みの中で生み出された。ということは、補助金制度と同じように公会計の制度の中に問題点がある。古い話になるが、夕張市の飛ばしも、公会計の仕組みの中では見えづらい形になってしまう。だから、実態をもっと見せるような公会計システムというものを作らないと、やはり(同じような不正経理は)繰り返される。今の公会計制度がああいうものを可能にしてしまうわけだから。

尾形 要するに連結決算でなかったために、膨大な借金の実態が見えなかった。

宮脇 その連結性の問題と、あと、意外とこういうものが素直に出るのは現金出納帳。民間でも採り入れるようになったキャッシュフロー表は企業会計が公会計をまねたもの。企業会計は減価償却とか貸倒引当金だとかいろいろな項目があるので分かりにくいが、現金は出し入れだから明白だ。
 夕張の問題も出納帳は毎月検査しているはずだから、普通会計の出納帳から特別会計に動かせば現金の流れは分かるはずだった。現金そのものの動きは正直なのに、そういうところを見ないで何々指標といった高度なところに真偽があるように考えてしまう。それももちろん重要だが、実は現金のやりとりをしているところに一番ストレートに(真実が)表れるとことがあるので、複眼的に見ていかないといけない。

▽予算単年度主義の落とし穴

尾形 検査院が指摘した「預け」は、自治体が余った補助金を業者に物品を架空発注した裏金です。せっかくもらった補助金を余すと翌年度の査定に響くなど後々問題が出る。予算を年度内に使い切る単年度主義に問題はありませんか。

宮脇 単年度主義だから預けがやむを得ないということはないと思う。余ったら堂々と補助金は返すべきだ。返して、その結果出てくる補助金の削減は県側とか自治体側が努力した結果であり、自分たちの努力が正当なところで評価される仕組みにするべきだ。
 ただ、今の単年度主義は不合理な仕組みになってしまっている。おそらく、自治体側だけじゃなくて、国側も年度末に補助金を返されたら困ると思う。このカネをどこに戻すんだという話になる。今度は国ベースの単年度主義で予算の未消化となり問題を起こす。国側も補助金の返還を認めたくない仕組みがある。

尾形 自治体も国も使い切らないと、話が面倒くさくなる。

宮脇 だから自治体側はプール金みたいにしてしまう。単年度主義という問題が制度的にあるのはその通りで、だから翌年度に予算を執行出来るとか、そういう仕組みにするべきだと思う。ただ、それが根本ではなくて、もしそうするのであれば補助金という制度はやめて、税源を地方に渡すのが本筋だ。

尾形 全国知事会議は数年前、補助金の抜本的な改革をめぐって大議論し、どうにか方向性を出した。しかし、小泉首相が言う三位一体改革は、地方交付税が大幅に削減され地方を財政的に追い詰めてしまいました。地方の首根っこを押さえる国の補助金は、原点に立ち返って地方の自主的な政策決定ができる一般財源化すべきなのですが、その方向性が見えません。

宮脇 補助金はどうしてもひも付きになる。それも、各府省ごと、局ごとのひも付きだ。かつ、その執行の内容も解釈権は国側にあり、地方はがんじがらめになっている。それで地方に一定の政策を担えと言うのは無理だし、一般財源化していくしかない。
 そのときに、三位一体の後でも起こったのは、補助金をひも付きにしない交付金化とか、いくつかを集める統合補助金というやり方だ。方向性としては間違いではないと思うが、統合補助金でも全部縦割りで各府省のものが入り込む。名前が重要なのではなく、権限も含めて修正しないと国の口出しが必ず入る。

▽出先機関の権限は強大、何でもできる

尾形 それは分権委員会の立場としてもそうですね。

宮脇 これは根本にかえってやらなければいけない。そのときに留意しなければいけないのは、補助金のほぼ6割くらいを占める社会保障関係の扱い。補助金全廃となった時に必ず出てくるのは、社会保障をどうするのかだ。社会保障の財源確保するためには一定の規模が必要だと思う。国民健康保険でも介護保険でもそうだが、これを市町村単位で財政面まで担えというのは無理だし、都道府県レベルでも人口規模が小さいところは保険という仕組みで成り立つ規模ではなくなってきている。
 だから、それが道州制(につながるもの)なのかどうか分からないが、財源面で言うと大きな規模を確保する必要がある。しかし執行面については、例えば北海道と沖縄では介護の仕方も違う、気象条件も違う。そういうものは、市町村にきちっと財源を担保して、自由にやって頂く。そういう意味での補助金改革をやらないといけないのかなと思う。

宮脇 もう一つは、補助金の採択などを地方の出先機関に委ねているから、民主的なチェックが働きにくくなっている。霞が関は永田町がすぐそこにあるから一定の緊張感はあるが、出先機関は都道府県と違って横に議会はいない。

尾形 すると、出先機関は自分達の判断で何でもできる。

宮脇 補助金の個所付けとか採択とかは、局長権限がものすごく大きい。関東整備局の予算は2兆超え、ものすごい権限を持っている。それが、まちづくりだとか地域の政策などに決定的に影響与える。

尾形 補助金にしても、出先機関の廃止問題についても、中央官庁側の危機感は強く、分権改革委員会の攻勢を「本丸」に近づけさせまいと組織を挙げて抵抗しています。

宮脇 各省庁から改革案が出てくると期待するのは無理だと思う。出先機関問題というのは、行財政だけでなく民主主義の問題もある。分権の視点から言うと出先機関のいろんな業務上の問題も出てきている。そういうところも踏まえて、やはり国民的に議論しなくてはいけない。
 逆に自治体の方も、不正経理の問題が出てきたことは自分たちの姿勢を正すとともに、制度を変えていくための、大きなきっかけになる。この問題を決して小さいことにしないで、謝罪するところはした上で制度論にきちっと結び付けていく主張をしないといけない。

▽国も地方も問題点の共有必要

尾形 今回の不正経理で明らかになったのは、分権を声高に求めながら一方で補助金に頼っている自治体の二面性が浮き彫りになりました。住民の信頼を裏切るような不正経理を続けているようでは、分権改革も絵に描いた餅です。第2期分権改革の先行きが思いやられます。

宮脇 問題点はやはり共有しないといけない。自治体側に任せてもこういう問題点がある。出先機関に任せてもいろいろある。だから、お互いに問題点を国も地方も抱えている、そのことの共有は必要だと思う。
 我々も地方に任せれば全てうまくいくとは思っていない。そうなると、国と地方の制度をどっちにしても見直さなければいけない。自分たちの近くにあった方がもっとチェックしやすいとか、自分たちの税金が使われることに対して意思を表明しやすいですよね―ということを議論の中で共有出来るかというところが重要だと思う。
 今回の問題で、我々は分権ということが決して否定されるわけでもないし、むしろ分権という軸の中で新しい自治体を作っていく、そういうきっかけになると思っている。

尾形 分権改革委は今春の第3次勧告に補助金のあり方も盛る考えのようですが、具体的にどんな形になりそうですか。

宮脇 分権にとって、今回の不正経理問題にかかわらず、補助金改革は絶対の条件であり可能な限り見直す。そして税源として地方に委ねるということは大前提になる。
 もう一つは、議会機能だとかチェック機能の問題がある。より多くの財源が地方自治体に移るのであれば、今のチェック機能だと残念だが十分ではない。これは地方制度調査会との議論にもなるが、議会機能だとか広い意味でのチェック機能などについても第3次勧告で一定のものを提示していかないといけないのではないかという問題意識はある。

尾形 ところで、会計検査院の権限が弱いという指摘があります。

宮脇 日本の場合は、(米国などに比べると)実体的な効力はすごく弱い。会計検査院の機能にも問題があると思う。つまり、情報なんかは各府省に依存せざるを得ない。自分たちの判断できちっとやりますよ、という抑制力を持った制度設計になっていない。これは日本の社会文化として、行政機関が完全な外部機関からチェックを受けるということを非常に嫌うからだ。

尾形 いろいろ言い訳が出来るような仕組みになっている。

宮脇 物事をアバウトにするというのは、不正を隠すだけではなく、アバウトにしておけるから権力行使が出来る。これが官庁文化だ。

▽霞が関は冷めた目で見ている

尾形 今回の不正経理問題は霞が関にもいろんな意味で衝撃を与えたと思います。分権改革委員会から見て、自治体と霞が関にどれくらい問題意識が生まれたと思いますか。

宮脇 自治体側にとってみると、やはりかなりの衝撃はあると思う。やはりこういう(分権改革の)時期に、かつ地方財政が非常に厳しいそんな中で住民負担を求めていこうとしているなかで、不正経理が明るみになると住民への説得力がなくなるし理解も得らない。襟を正していこうという姿勢が今、足下では強いのはその通りだと思う。
 一方で、国がこれをどう、霞が関が問題意識として受け止めているか。正直言うと、これは地方の問題(という認識のようだ)。決して、補助金を抜本的にこれで変えなきゃいけないとか、あるいは地方財政をもっと自由なものにしなきゃいけないんだとか、そういう意識が霞が関に高まっているかというと、残念だが、そういう風になかなか見えない。

尾形 率直に言って、(地方の不正経理で)国(の不正)とおあいこと思っているのではないですか。今回の問題と霞が関を切り離して別次元の問題だと見ているようですね。

宮脇 これは完全に地方の(問題)、だから地方は……という論拠になる。私としては、それは間違っていると思っているが。

尾形 今回の不正経理が分権改革推進にあたってこれからいろいろ問題にならないでしょうか。

宮脇 分権改革の壁になるかというと、そういうことはない。ただ、分権委員会としてそういう(不正の)チェック機能の強化というところに、もっと目配りをしていかなきゃいけないということはある。

▽地方には「自由なカネ」が必要

尾形 委員会にとっても一つの大きい問題意識が出来たということですね。

宮脇 そうですね。テーマを今まで以上に認識をしたということは確かで、委員会としては、むしろこれをベースにもっと補助金問題とか地方財政の問題とかにもっと議論を深めていくことじゃないかと思う。

尾形 問題が委員会が勢いづかせることになりませんか。

宮脇 ある意味ではそうだと思う。補助金問題についてはそうだ。しかも、地方がなぜこれだけ(検査院に指摘されるようなことを)やるかというと、もちろん公金に対する意識も足りないというのも根本だが、その上に立って自由になるカネがない。仕事は全部(国の)がんじがらめになっていて、交付税は削減されている。あえて指摘しなければ思うのは、民間組織だろうが何だろうが自由なおカネは必要だ。間接的なおカネがなかったら、潤滑油がないのも同じで動けなくなってしまう。そういうご苦労も地方側にはある。

(「地域政策」09年新年号)