雑記帳
◎首相、安全保障の国の責務を強調

 普天間・オスプレイは素通り、知事との会談なし

 沖縄県全戦没者追悼式に参列した野田首相は、「心ここにあらず」だったようだ。首相の沖縄訪問は5月の本土復帰40周年を記念する式典に次いで2回目となったが、今回は国会が消費増税法案などを巡って、首相にとっては「いっときの猶予もない」中での訪問だった。

■国の責務はおろそかにできない

 23日朝の8時過ぎ羽田空港を発った首相は那覇到着後、追悼式の会場となる糸満市の平和祈念公園に直行。追悼式で挨拶を済ませて那覇市内のホテルで休息し、この後第11海上保安本部の巡視船に乗船して職員らに訓示した。訓示はもちろん、尖閣諸島の領有問題の最前線に立つ職員らへの激励である。午後5時前、仲井真知事の見送りを受けて帰京した。

 追悼式での挨拶は、67年前のあの沖縄本島中部の東シナ海を埋め尽くす米軍上陸の状況を再現して見せる、いかにも野田氏らしい情感に訴える言葉が並んだ。
 「紺碧の海と空を黒々と埋め尽くした軍艦と爆撃機から、昼夜を問わずとどろき続ける閃光と爆音。幾万の住民が戦火のただ中に投げ出され、多くの尊い命が奪われた」
 そして首相は、よく知られ語られていることだが、沖縄戦当時の海軍沖縄特別根拠地隊司令官大田実少将が自決する直前に東京の海軍次官に送った電信文「沖縄県民カク戦エリ…後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」を紹介しながら、大田少将の意志を引き継いで沖縄県民への特別の配慮を忘れてはならないと問い掛けた。
 そんな歴史を語りながら、首相は「不戦の誓い」「国際平和の実現の不断の追求」を語って沖縄に寄り添う姿勢を見せたのだが、こうも言っている。

 「戦争の惨禍を二度と繰り返さないために、国の安全保障に万全を期すことは国政を預かる者の務め。その責務はわずかなりともおろそかにすることはできないと。まるで、旧日本軍の将校が部下に対して訓示しているかのごとき印象さえある。

 流動化する東アジア情勢をにらんだ日米同盟の深化、そのための沖縄米軍基地の抑止力は、米政府の世界戦略であると同時に、日本政府の不断の要請であると言っていい。
 普天間飛行場の移設問題は沖縄に駐留する米海兵隊のグアム移転と切り離されることになったが、問題の具体的な進展は少しも見えてこない。「同盟の深化」という日米合意のスローガンだけが独り歩きし、例えば事故が相次ぐ垂直離着機オスプレイの沖縄配備に見られるように、「オキナワ」が更に機能強化されようとしている。
 「国の安全保障…の責務はわずかなりともおろそかにできない」は、まさしく、沖縄基地の抑止力を念押ししたものである。

 過去の追悼式での首相の挨拶を思い出しても、日米安保の重要性を強調する言葉はあっても、野田首相ほど明確に「国防の責務」をストレートに説いたものはなかった。
 これに対して仲井真知事が読み上げた「平和宣言」は対照的だった。
 沖縄県民の基地負担の大きさを指摘した後、「普天間飛行場の1日も早い移設」と「日米地位協定の抜本的見直し」を求めた。
 知事は平和宣言で触れなかったが、頭から離れないのは、頭越しに進められようとしているオスプレイ配備への懸念である。追悼式に参列した横路衆院議長はオスプレイ問題を取り上げ「県民の大きな不安から目をそらしてはいけない」と述べたと地元紙の琉球新報は伝えている。訪問日程を終えて帰京する首相を見送った知事が空港で改めて配備に反対の意向を伝えている。首相と知事の対話は、このわずかな時間の立ち話にすぎなかった。

■断崖に立つ政権

 慌しい首相の沖縄訪問だった。
 猶予もない理由は今さら挙げるまでもないが、「政治生命を懸けた」消費増税法案などは自民、公明両党との3党合意で明らかなように、民主党政権が後生大事にしてきたマニフェストが見る影もないくらいに切り裂かれた。それもこれも、例によって増税に反発する民主党内の造反を乗り越えるための「大脱走作戦」と言っていい。

 「決断する政治」を事あるごとに強調する首相にしては、あまりにも換骨奪胎の決断だった。いや、そうでもしない限り政権が立ち行かなくなっていたからの決断≠ネのだ。しかし、3党合意が成ったからひと安心というわけにいかないのが、この政権の運命である。
 3党合意に政権与党内の反増税派が怒っただけではない。3党協議から外された他野党も一斉に反発、ただでさえ政権運営の知恵者を欠く政権は、状況把握もままならないまま、本来用心すべき相手の自公に「身の安全」を頼るはめになったのである。まさに自民党の領袖の1人の言うように「つっかえ棒」なってもらう始末だった。
 その「つっかえ棒」となった自民は、その棒をいつ外すかで政権に揺さぶりをかけている。自民首脳の機嫌を損じるようなことがあれば、たちどころに政権は行き詰まる。党内の亀裂は修復できない段階にきた。今や、野田政権は断崖に立ったと言っていい。引くことも進むこともままならない段階に至ってしまった。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)