雑記帳


◎「愚直」転じて「正攻法」に出た野田政権


 国会の先行きは大波乱の様相

 政権の正念場となる通常国会が開会、各党の代表質問も始まった。野田政権の迷走は誰の目にもはっきりしているだけに、少しも油断できない国会となりそうだ。本年度の第4次補正予算案はメドがついたようだが、新年度予算案審議となると、まるで雲をつかむような感じの展開となるだろう。
 野田首相は意地でも社会保障と税の一体改革を成案としようとするだろうし、逆に野党はふらつく政権の足元を徹底的に突いてくる。文字どおりがぶり四つの戦いになることは間違いないが、政権も野党側も全面戦争となるほど態勢ができていない。口角泡を飛ばす論戦はある。しかし、民主、自民とも掛け声の元気さとは裏腹な内部事情を抱えている弱みは何ともし難い。

■時代遅れの「精神論」

 24日の野田首相の施政方針演説は気負いが先行し、国民が求めている肝心の具体策を示さない、「精神論」に終始した。
 施政方針としては、旧政権時代の福田、麻生両元首相の施政方針演説の一部を取り出して野党の攻勢に待ったをかけようという異例な策に出たが、「政局より大局を目指そう」と呼び掛けた首相の胸の内も、騎馬上から己の存在を叫ぶ戦場の武将の大音声を思い起こさせるだけだ。
 何故いま政局なのか…野田政権にその責任のかなりの部分があることを脇に置いて、「大局」への対応を求めることには無理がある。
 だが、首相の正攻法は逆に野党を刺激してしまい、国会はそれこそ熟議など期待できないスタートをきってしまった。気負った出だしは、途中でブレーキを踏もうものならハンドル操作も容易ではない。場合によっては運転不能な不測の場面だってあるかもしれない。

 首相は施政方針の「三つの優先課題」として@大震災からの復旧・復興、A「原発事故からの福島の再生」。そしてB「日本経済の再生」――を挙げた。だが、残念ながらいずれの優先課題も総論で終わっており、肝心の具体的にどうするかがない。
 さらにそれに続く「政治・行政改革」では、「ムダの温床」と言われて久しい独立行政法人改革と特別会計改革は「廃止」がごく限られ、「統合」する方針が示されただけで、両改革で具体的にどれだけ冗費がカットされるのか全く分からない。
 これでは、改革の考え方を提示しただけで、政権の真意・本音がまるで分からない。てぐすね引く野党の思う壷だ。
 ところが「社会保障と税の一体改革」は、過剰なほど危機感を煽って見せた。

 若年・団塊の働く現役世代と高齢者、つまり「支える世代」と「支えられる側」との関係は、かつて多くの現役が支えた「胴上げ型」から今や3人で1人を支える「騎馬戦型」となり、いずれ1人は1人を支える「肩車型」に確実に変化していくといった具合で、首相は現状を放置していたら「今日より明日が良くなる」という確信を持つなどは「無理な相談だ」と警鐘を鳴らし、消費税増税の必要性を強調している。

■心情に訴える言葉を多用

 歴代政権の施政方針演説と今回が違うのは、野田首相が日本の現状を紹介しながら、国民の心情に訴える言葉を多用していることだ。

 例えば原発事故に苛まれる福島県を訪問した折を振り返って、
「山々の麗しき稜線。生い茂る木々の間を流れる川と水の音。どの場所に行っても、どこか懐かしい郷愁を感じます。日本人の誰もが、故郷の原型として思い浮かべるような美しい場所です」
 と述べ、続けて「福島の再生なくして、日本の再生はありません。福島が蘇らなければ、元気な日本も取り戻せない」と強調している。
 国民の心情に訴えた首相のもう一つの言葉は、最後の「むすびに」にある。そこでは次のように述べている。
 「私は、大好きな日本を守りたいのです。この美しいふるさとを未来に引き継いでいきたいのです。私は真に日本のためになることを、どこまでも粘り強く訴え続けます。今年は日本の正念場です。試練を乗り越えた先に、必ずや『希望と誇りのある日本』の光が見えます」
 「この国を築き、守り、繁栄を導いてきた先人たちは、国の行く末に深い思いを寄せてきました。私たちは長い長い『歴史のたすき』を継ぎ、次の世代に渡していかなければなりません」

 見事に国民の心情に訴える言葉である。

 であるならば、首相に問いたい。
 福島の再生の歩みはどうなっているのか。「原発事故の収束」を首相自らが高らかに謳いながら、事故の被害は止めどもなく広がっている。被災者の補償は遅々として進まず、復旧・復興も省庁の権限という壁に阻まれて、国難に対処する仕組みとはなっていない。
 「使い勝手」がいいはずの復興予算も、フタを開けてみれば元締めの省庁の仕切りのままだ。平野復興担当相がいくら怒ってみたところで、官僚は言うことを聞かない。「被災地に寄り添って」対応する政権だなどとは、とても言えない。
 原発の廃炉も「原則40年、例外は極めて稀」(細野原発相)とされながら、同じ政府から「20年の延長も可能」と、従来の原発稼動と何ら変わらない考えが打ち出されて政府の方針が迷走している。首相の施政方針演説とは裏腹な政権の原発事故対応の実態をどう説明できるのか。

■変わらぬ場当たり発言

 首相の「原発事故収束宣言」以来、事故対応は明らかに事務レベルの仕事に変質した。政治主導がもっとも求められる事案なのに、政権は、別の道を歩み始めた霞が関の旧態依然たる官僚意識に目をつぶったかのように「精神論」を繰り返すばかりだ。
 日本はかつて「精神論」で国民を鼓舞し、破滅の道をたどった苦い歴史的経験を持つ。政治に指導力なく、観念論で国民を導くことの過ちを繰り返してはならない。
 民主党政権は、いまだに政権運営の知恵のなさを露呈している。問題が表れるごとに対応策をどうにかまとめるが、政策に一貫性がない。社会保障と税の一体改革でも党内意見を集約できず、身内の対立を引きずったままボヤけた政府方針で国会論議が始まろうとしている。
 消費増税の行方が全く不透明なのに、岡田副総理は年金改革には更なる消費税の引き上げが必要だと、さらに議論を燃え上がらせるような発言をする始末だ。まるで、枯葉の広がる原野に火を放つような政権ナンバー2の政治感覚を疑わざるをえない。
 政権の中枢がこんな状態だから、誰が何を言おうと知ったことではないといった雰囲気が党内に満ち満ちている。

 今さらとは思うが、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉参加問題、日米関係に刃のごとく突き刺さっている普天間移設問題の迷走は、もはや収拾のつかない漂流事案としか言いようがない。
 自らが出した法案の処理もままならない政権には、気合や精神論で修羅場を潜り抜ける力量はない。国民が政権に求めるのは、言葉、精神論ではない。国のあり方を具体的に示すことである。もちろん、官僚が下書きした国の将来像でないことは当然である。 

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)