雑記帳

◎「事故収束」は外国向けの公約達成宣言

 被災地向けの配慮は「方針」を示しただけ

野田首相の原発事故収束宣言が、いかに事故現場の「現実」にそぐわないかをはっきり示したのが、18日福島県を訪れた細野原発事故担当相ら3人の原発関連閣僚に対する佐藤知事の言葉だろう。
 本来なら、野田総理大臣が来て話をしてしかるべきだ」「『事故収束』という言葉を発すること自体、県民は『(被災地の)実態を本当に知っているのか』という気持ちでいる」
 かねて、政権の事故対応のちぐはぐさを批判してきた知事だが、首相を名指しで不快感を表すことは異例だ。それだけ首相の事故収束宣言に怒りをぶっつけたということだ。

3閣僚は細野氏のほか枝野経産相、平野復興担当相で、首相の事故収束宣言を受けて福島県に詳しく説明するための訪問だった。3人は知事以外にも被災市町村長らと会い説明したが、どちらの場でも収束宣言に対する批判、疑問が投げられた。
 また同日、国会の事故調査委員会も現地を視察したが、黒川清委員長(元日本学術会議議長)は会見で「収束宣言」について「第一歩というならいいが、首相の言いぶりが国民の受け取り方とギャップがある。納得がいかない」と不快感を示していると各紙は伝えている。
 収束宣言がいかに現実から遊離したものかを浮き彫りにしたわけである。
 首相が会見で語ったことを聞いた私自身の印象を付け加えるなら、宣言は限りなく「政治的」で、被災地や国民に対する語り掛けというよりも、福島原発事故対応のまずさに対する世界の対日不信・疑惑のトラウマから何としても抜け出したくて「もう大丈夫ですよ。公約どおり年内に『冷温停止状態』になりました。安心してください」という外国向けの公約達成宣言だった。
 そして、国内的には事故対応の節目を示すことで、政権の事故責任を事務的に進める環境整備を図ったということだろう。 
 だが、周知のとおり海外メディアは、事故の真実を脇に置いた「政治的宣言」とにべもない厳しい評価だった。

■独り歩きしかねない「冷温停止」

 首相は「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」と明言した。
 事故収束に向けた工程表のステップ2(冷温停止状態の達成)が国際公約どおり年内に終了したわけだから、首相としては世界に「安全性」をアピールしたかったのだろう。首相は「万が一トラブルが生じても、敷地外の放射線量が十分低く保たれることが確認された」と自信たっぷりに語った。
 「冷温停止状態」の宣言で事故対策が一つの節目を迎えたことは確かだが、それはあくまでも政権の「政治的な意味」での節目である。「冷温停止」という言葉が独り歩きすると、事故そのものが、ある意味で危機的状況を乗り越えたと誤解されかねない。
 増え続ける汚染水は飽和状態で、どう処理し保管するかも分からない。高濃度の放射性物質を含んだ瓦礫の処理は目鼻さえつかない。被災者の生活再建策は雲をつかむような話だし、生活インフラの整備を考えれば故郷回帰の夢など描きようがない。原発の廃炉には最低でも40年はかかるというから気が遠くなる。
 現状は本質的な事故収束とは程遠いものであることを忘れてはならない。
  「冷温停止」とは原子炉が正常で炉内が安定的な冷却がなされている状態を指すが、炉心が溶融(メルトダウン)して核燃料が格納容器内に落下し床のコンクリートを侵食していると見られている。にもかかわらず、政権は今回、福島原発1〜3号機の炉の温度が100度を下回り、放射性物質の飛散も事故時に比べると1300万分の1に減少したことなどから、「冷温停止状態」だとした。
 つまり、原子炉は正常ではないが、冷却が順調で、放射性物質もあまり飛び散っていないから「冷温停止」の状態だと弁明している。人間の健康状態に例えるなら、病弱で点滴を受けて「寝たきり」の状態だが、血圧や心電図、脈拍が健康体の人間と同じレベルになったから大丈夫と言うに等しい。相変わらず点滴は必要だし、排泄や身の周りの世話も欠かせない――といった具合だ。

■自信を持って「戻れる」と言えるのか

 冷温停止の状態になったからといって、この状態を保つには十分な冷却水の供給と原子炉に注入した後の放射能汚染水の処理も万全に行われなければならない。
 ところが注水や汚染水の処理に使う樹脂製のホースは被災の瓦礫の間を縫うようにのびて全長4キロもある。汚染水の処理は浄化装置の故障や水漏れが頻発し、根本的な対策が取られていない。毎日大量に発生する汚染水の貯蔵も満杯状態だ。
 さらに、溶けた燃料がコンクリートを侵食して地下水に達するようだと事態は最悪だ。そうならない前に原子炉を覆う建屋を造らなければならない。事故現場についてだけでも、これほど難問が山積している。
 「事故収束」宣言を受け、政権は18日、年間放射線量に応じて来年3月末までに原発から半径20キロで線引きした避難区域を見直し、避難住民が帰宅できる区域や長期間にわたって住めない区域を決めると関係自治体に伝えた。生活インフラ、すなわち生活をしていく条件が整えば、来春にも避難住民が戻ることができるという。
 放置したままになっている自宅に1日も早く戻ることは、避難住民にとって悲願だ。その道筋を決めようというのだから、住民にとっては「待ちに待った連絡」なのだが、事はそう簡単ではない。早ければ来春にも避難指定が解除される区域の生活インフラの復旧や雇用の確保などの支援を行うと言うが、具体的にどうするのかは不明だ。政権の「方針」を示すだけで、関係区域には「雲をつかむような話」でしかない。
 「戻れる区域」「戻れない区域」の線引き次第では、新たな火種となりかねない。汚染度や瓦礫の中間貯蔵施設の見通しが立たないため、「仮置き場」の設置も進まない。帰宅困難区域ともなれば、中間貯蔵施設の設置が浮上するかもしれない。「住めないのだから、汚染土壌・瓦礫の置き場にしてしまえ」となりかねない。
 いずれも政治判断が求められるが、現状では「事務レベル」で作業がすすむ可能性が高い。不思議なことに、政権が政治力を発揮して対応する意欲が感じられない。「事故収束宣言」を受けて予想される政権の工程表が事務的に進むと予想されるのは、このためだ。 
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 事故発生からもう9カ月も過ぎた。野田首相は所信表明演説で「福島の再生なくして、日本の再生はない」と言い切った。だが足元が揺らぐ政権の現状は、数多くの難問を抱えながら超過密な政治日程を組んでいる。
 問題とその対処法を示す政治責任は大きいが、方針を示すだけでは問題は前進しない。政権の約束にも反する。野田政権に求められるのは、再三指摘しているが、やはり約束したことを実行する政治力に尽きる。
 首相官邸で官僚の言うことを聞くだけで国民の前に出ないようでは、何のための政権交代かとなる。その責任は、ひとえに野田個人に帰すことを忘れてはならない。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)