【財界と政治】

◎当面の分権改革に熱意を示せ

 新年を迎えて思い出すのは、ちょうど2年前の2007年正月4日の各紙の夕刊に載った、「諸井虔さん死去」の記事である。地方分権改革の足場を築いた財界人だ。第2次分権改革が不透明な時期だけに、諸井さんの足跡を前にも増して大きく感じてしまう。
 財界担当記者だったよしみで、1990年代半ばごろから故諸井虔氏(当時は秩父小野田会長)を都内の本社ビルに何度も訪ねた。
 諸井さんは財界人としてだけでなく、地方分権改革に道筋をつけた地方分権推進委員長や地方制度調査会長を務めたほか、政府税制調査会、行革会議のメンバーを歴任するなど、各分野で活躍したリーダーの1人だった。
 諸井さんが亡くなったのは2年前の年の暮れ。財界を代表する論客だっただけでなく、音楽や絵画を趣味とする文化人としての感覚が、事業や公職の中でも周囲に感じさせる稀有な人物だったとの思い出が今でも鮮明に残る。
 故人との会話の中で忘れがたいのは、諸井さんの沖縄にかけた思いと地方分権改革の必要を熱く語る姿だ。沖縄にかけた思いは本ホームページの「沖縄基地問題」の7回目「沖縄懇話会」で少しばかり触れているので、ここでは分権改革について記す。
 
 「国の財政がこんなにひどくなっている今こそ、地方分権で国を立て直すまたとない機会なんだ。それを(官僚や政治家は)分かっていない」

温厚な性格がウソのように熱く分権改革の必要性を説く諸井さんの努力がどうにか実って第1次分権改革が軌道に乗った。
 諸井さんは、財界が経団連、同友会、日経連、日商の4団体当時、同友会の副代表幹事、日経連副会長を務めているが、根は経済同友会系の理論派の財界人。経団連は日本経済を背負って立つ機関車役とすれば、同友会は理論家集団だ。
 かつて政界ににらみをきかせ、行革の鬼と言われた土光敏夫・経団連会長、その後を継いだ稲山嘉寛氏(新日鉄会長)、さらには経団連副会長・事務総長として「財界政治部長」と呼ばれた花村仁八郎氏らのような、往年の財界人ほどの押し出しのいい存在ではなかったが、晩年まで財界の「ご意見番」として、同友会の仲間でもある牛尾治朗氏(同友会代表幹事)とともに永田町や霞が関に影響力を見せ付けた。
 その諸井さんが率いる地方分権推進委員会が設営した、分権改革の「ベースキャンプ」を足場に登頂を目指す改革が、小泉内閣の三位一体改革以降、何やらおかしな歩みを続けている。

諸井さん亡き後の経済界の論客といわれる、大手商社、伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎氏をトップとする「地方分権改革推進委員会」が発足したのは一昨年7月。丹羽委員長は、社内でも一般社員と食堂で一緒に食事を取ったり、大会議室に何百人という社員を集めて熱い議論を長時間にわたって続けた経営者で、その求心力は経済界でも話題になるほどのリーダーシップの持ち主である。
 分権改革の歩みがおかしくなっているのは、地方自治体の足並みの乱れから、本番を迎えた第2次分権改革が当初のような同じ目標に向った流れに変調をきたしたからだ。
 総論から各論に入った分権論議は、個々の自治体の台所事情を映し出すようになり、改革の旗印がさまよいだした。昨年夏の横浜市での全国知事会議は、そうした個々の事情が飛び交ったのである。
 霞が関と永田町が、そんな自治体の足元を見逃すはずはない。もともと、分権改革に否定的だった一部官庁は永田町の族議員を巻き込んで、公然と改革に異を挟むようになった。
 分権改革を国会決議し法律も成立させておきながら、改革に水を差そうとする議員意識は理解できないが、現実はきれいごとでは済まないようだ。国会議員にとって、最大の関心事は自分の選挙。分権改革は、事の重要性とは裏腹に「票」につながりにくい。
 地域振興のメニューを並べ立てて有権者の歓心を得ようとしても、財政事情から事業予算が取りにくい。そこで、霞が関で用意される地域振興策を可能な限り使って官僚と手を組むことになり、異夢同床の「政」と「官」の結びつきが出来上がる。
 こんな状況を放置しないためにも、政治主導の動きが表れて当然なのだが、内閣に求心力がなければそれも期待できない。
 丹羽委員会の各省からの意見聴取を聞いていると、委員会に出向いてくる官僚は、例外なく委員の質問をはぐらかす。そして、地方自治体との協議を理由に応えを引き延ばす。霞が関の「官僚文化」は、丹羽委員長をして「まじめにやれ」と言わせるほど狡猾だ。

経済界を代表して分権改革の旗を振り続ける丹羽氏だが、かつて中曽根行革を引っ張った第2臨調(土光臨調)を全面的にバックアップしたような熱気が今の経済界にない。経済界の関心は、分権改革のずっと先にある道州制問題にあるようだが、道州制は分権改革を着実に進めた上で出来上がる究極の行政改革である。
 道州制も結構だが、経済界は当面の改革に邁進する丹羽委員会の全面支援を表明すべきだし、足元の分権改革にもっと熱心であるべきではないか。
 丹羽委員会は昨年暮れ、地方自治体を国の法律で縛る「義務付け・枠付け」と、国土交通省の地方整備局や農水省の地方農政局など国の出先機関の見直しについての第2次勧告を麻生首相に提出した。
 だが、この勧告に対する霞が関と永田町の反応は誠に冷ややかだった。「なにこれ」「こんなことできると思っているの」といった類である。
 新年早々始まった通常国会は、全く腰の定まらない麻生内閣の姿を連日のように伝えている。昨年9月、福田首相が突然政権を投げ出し麻生内閣が誕生した。党の顔をすげ替えて解散総選挙に臨む「ワンポイント・リリーフ内閣」だったが、「百年に1度の経済危機」を理由に政権に居座ったままだ。
 そんな内閣に腰の据わった施策ができるはずはない。内閣の支持率も危機的水域にある。近く発足する米国のオバマ政権は、日本に民主党を中心とした内閣ができることを前提にした態勢をつくっているという。
 麻生内閣ができて100日。米国流に言えば「ハネムーン期間」は終わった。少々のことは国民が見逃してくれる時期は過ぎたのである。

09年1月10日)