☆沖縄サミットが目前に迫った。本番を前にした沖縄の雰囲気はサミットへの期待と不安が入り混じった複雑な感情である。政治的色彩の濃いサミットの直前の現地を見た。


資料版「論説」

◎首相の沖縄観は大丈夫か

 主要国首脳会議(沖縄サミット)の本番を迎える沖縄は、開催歓迎の催しが華やかに繰り広げられる一方で、開催に疑問を挟む声も数多く聞かれる。特に今月初め起きた米兵のわいせつ事件は、五年前の忌まわしい暴行事件の記憶を呼び起こし、基地問題を再燃させてしまった。
 サミットを歓迎する人も冷めた目で見る人も、首脳会議を終えた後を心配することは同じだ。「沖縄は変わるのか、変わらないのではないか」という漠然とした不安である。
 サミットは、こんな県民感情に答えを用意していない。政治に期待できるのか。来年一月の中央省庁再編を控えた「取りあえず」の森喜朗内閣に「沖縄色」はない。だが、普天間問題に示されるように、沖縄の基地問題が待ったなしである状況に変わりはない。

 沖縄サミットと基地問題には、どうしても切り離せない因縁めいたものがある。
 小渕恵三前首相が、「リスク」を覚悟のうえで沖縄での開催を決めた背景に、前首相の「思い入れ」と「政治判断」があった。どちらも甲乙つけがたい重みがあった。
 しかし、森首相は橋本龍太郎元首相や小渕前首相に比べ、沖縄問題への熱意と対応力は劣る。森首相が直面する外交問題は、四年前の日米安保共同宣言で再定義された日米安保体制を、約束通り機能させるかどうかというものである。
 「小渕メニュー」(野中広務自民党幹事長)と呼ばれる沖縄サミットだ。首相が「小渕継承」を言うなら、もっと沖縄への働き掛けがあってしかるべきだが、メッセージもないし、覇気も感じられない。

 五年前の秋の少女暴行事件で、日米関係が極度に不安定になった。
 当時の村山富市首相に始まり、橋本、小渕両内閣は「沖縄シフト」を組んで問題解決に立ち向かった。特に橋本、小渕内閣では梶山静六、野中広務、青木幹雄の三氏が官房長官や自民党幹事長代理、沖縄開発庁長官として、政府自民党の核となって、沖縄対策をリードした。
 小渕前首相は、初入閣が大平正芳内閣の総理府総務長官・沖縄開発庁長官。小渕内閣当時は、首相官邸の四人の政治家のうち三人が沖縄開発庁長官の現職と経験者の布陣だった。
 一昨年十一月に保守系の稲嶺恵一知事が誕生して以来、国と県の関係は修復された。互いの信頼関係の象徴が「沖縄サミット」である。普天間飛行場の移設問題に呼応した幾つもの振興策は徐々に形を表しつつある。いずれも前首相の「置き土産」と言っていい。
 となると、後は敷かれたレールを森内閣という列車が走るだけで済みそうだが、そうでないことを米兵事件が示した。

 第二次森内閣で沖縄問題に通じた閣僚はいない。中川秀直官房長官は沖縄開発庁長官を兼ねるが、重要課題の情報技術(IT)担当だ。新内閣は明らかに沖縄シフトを解いた、とみられても仕方がない。沖縄問題全般に目が届く野中自民党幹事長はいるが、サミット後は分からない。
 基地問題の行方を左右する普天間飛行場の移設で、政府と県、名護市など地元市町村が共同で普天間跡地利用や経済振興を検討する話し合いの場はできた。だが、いずれも新しい法律や制度なくして計画は進まない。その際、自民党など与党の政治的支援があるか、ないかは決定的な要素だ。
 例えば税制改正は通常一年掛かりの作業だが、沖縄関連では大蔵省との相談抜きに政治的に数日で決着させた例もある。

 森内閣がサミットを終えてまず手掛けなければならないのは、名護市辺野古の沿岸域に決まった普天間飛行場の代替施設の具体的な場所と施設の工法・規模である。
 一九九六年四月の日米合意は、五―七年以内の普天間返還だ。それが遅々として進まないことに米政府はいら立っている。移設反対運動を刺激して、サミットへの影響が出ないよう日米両政府はなりを潜めているが、サミットが終われば移設作業は具体化する。
 移設の条件となった代替施設の使用期限十五年についても森内閣は、昨年暮れの閣議決定の内容を繰り返すだけ。沖縄の不安は膨らむばかりだ。そんな県民に答えられるのは森首相しかいない。
(2000年7月19日付)