雑記帳

2011年8月21日

「民主党代表選」(ブログ)

◎小沢復権≠フ兆しが表れた

 報道各社の言葉を引用すれば、民主党代表選は「乱立」模様で、「数集め」が過熱しているという。確かにまだ最終態度を決めかねている有力者もいるようだが、彼が出るか出ないかは別として週明けには正式に態度表明する。代表選レースはそれで号砲が鳴る。
 率直に言って予想される候補者も含めて、「期待」できそうな名前はない。今の日本が置かれた状況を考えれば、次の政権をつくって瀕死の日本丸の操舵を任せられる政治家が求められるのだが、それはいつに政権を担っている民主党の構造的・体質的な面から期待できないからだ。
 党内をまとめきれない政権が、野党と日本の将来像を共に考えようなどと思うこと自体が間違っている。せめて、最低限の政治的常識があるならば、こんな問題は出てこない。自ら身を律せない者がやるべきことは、まず「政権交代の意義」を思い返すことである。
 いまさら原点に立ち戻る時間はないと言うかもしれないが、正すべきを正さないで新たな進展を考えるのは、再び同じ間違いを繰り返すだけではないか。寄ってたかってきれいごとを並べ立てても、腹の内がバレるようなことは言わない方がいい。

■時局認識甘い野田

 現時点(21日夕)で代表選に名乗りを挙げているのは元国交相の馬淵、財務相の野田、経産相の海江田、農相の鹿野、それに元環境相の小沢(鋭)と総務副大臣の平岡の2人も出馬の意欲を示している。
 数からみれば乱立模様だが、立候補に必要な推薦人確保のハードルを考えれば、代表選は前出の4人の戦いとなりそうだが、それとて決選投票を見込んだ駆け引きで土壇場での立候補辞退もあり得る。

 ところで今度の代表選の特徴は、党員資格を取り上げられた小沢グループの存在の大きさをいやでも思い知らされたことだ。「政治とカネ」であれ程批判しながら、いざとなると小沢の力・影響力に頼ろうとする打算には呆れるが、これも永田町政治の一面である。
 月刊誌に政権構想を発表した野田以外は具体的な政権構想を出していないが、近々発表する構想は、大震災対策を軸に経済財政、外交、農業、福祉、教育問題全般に渡って所信を明らかにするはずだ。

 いち早く「大連立」と「増税路線」をぶち上げた野田だったが、大連立では肝心の自民、公明から突き放されて挙げた拳をどう下げたらいいものか悩んでいる。「方向としては間違いない」などと言い訳しながら右往左往しだしているが、元はといえば明確な政治理念も持たないのに、大政治家でも手におえないような「大ごと」を言って自分の存在を大きく見せようとした、後先も考えないお粗末なアドバルーンだった。
 「増税」にしても、「税と財政の一体改革」が党内の猛反発で消費税増税の目標年次を「10年代半ば」とトーンダウンした経緯を財務相として一番痛みを感じる立場にありながら性懲りもなく増税を公言したのだから、誰もが驚くのは当たり前だろう。
 しかも、「大震災需要は(デフレ脱却の)千載一遇のチャンス」などと言うに及んでは何をかいわんやである。
 時局がどうなっているかも分からないお粗末な学者の宣託と変わりはない。大震災で苦しんでいる多くの国民がいる今の時期に千載一遇≠ネどという言葉は、政治家として間違っても使ってはならない。野田には、それが分からないようだ。

大連立にしろ増税にしろ、シナリオを書いたのは財務省官僚だ。野田は一夜漬けの財政論のまま、それに乗せられただけの話。松下政経塾創設に奔走した有力者から「総理など早すぎる。勉強し直せ」と叱られる始末だ。

 野田は周囲の厳しい反応を意識して大連立も増税もすっかりトーンダウンさせざるを得なくなった。
 野田は当初、怨念の政治≠ゥらの脱却を言い、菅政権の小沢排除を間接的に批判している。にもかかわらず大連立が、もしそれが成就するとなれば小沢の影響力を心配しなくても済む状況となることまで思いが及ばなかったのだろう。
 かつて小沢は福田政権時に大連立を非公式に打診したことがあったが、百戦錬磨の小沢が考える大連立と野田が思いついた大連立には雲泥の差がある。経綸の問題である。
 早々と政権構想を発表した野田だから、彼に関するコメントが多くなっただけのことで、彼を意識的に批判するつもりでないことを断っておく。

■難題背負い続けた海江田

 海江田の身の処し方も疑問が多い。
 菅政権での海江田の位置づけは、原発問題での考え方の違いだけが注目されているが、彼が経済財政担当相、さらには経産相に就いた事情を少し深読み≠オてみてはどうか。
 菅は就任から一貫して取り上げ強調したのは「経済」「財政」「雇用」だ。経済ブレーンの弱い菅に必要なのは「経済を知る」政治家だが、見渡したところ身近な仲間には見当たらない。鳩山グループに属する海江田に白羽の矢を立てたのは、政権の行方を左右しかねない難題の経済を鳩山一派に「丸投げ」して当たらせようとしたと見ることができる。

経産相就任についても、「平成の開国」などとぶち上げた菅がその始末を海江田に任せた。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加に前のめりの菅にとって、その推進基盤の経産省のトップに海江田を送り込むのは「成功すればもうけモノ」だし、うまくいかなければ海江田の責任にすることもできる。どちらに転んでも菅に痛みはない。
 中部電力・浜岡原発の運転再開中止や九州電力・玄海原発問題での変わり身の早さに、菅の本音を垣間見ることができるのではないか。

国会論議の中で野党に原発問題での責任の取り方を執拗に追及されて号泣してしまったのは、あまりにも情けない。菅に対する積もり積もったものがあるにしても、大臣が人目も憚らず涙するなどはあってはならない。
 海江田は代表選出馬を明言すると、すぐさま小沢と鳩山を訪ねあいさつ、協力を要請した。馬淵も早々と小沢へのあいさつを済ませているし、小沢鋭も「しっかり頑張れ」と小沢に激励されている。
 小沢にあいさつした者は、皆、小沢処分に言及しその解除を滲ませている。もともと小沢処分は政権執行部が「世論」を後ろ盾に決めたことだから、政権が代われ見直すことは可能だ。検察審で小沢は強制起訴されたが、その裁判の行方が小沢に有利に回りだしていることも、小沢復権の根拠となっている。

 ちょっと注意してもらいたいのは、鹿野の動きである。小沢に公式にあいさつもしていないし、その動きもなさそうだ。小沢が言っている「経験と知恵」は一般論とはいえ、鹿野を置いてほかに見当たらない。
 小沢が言うように、現政権の閣僚は「ポッと出の政治家がいつの間にか偉くなってしまったヤツ」が多い。修羅場も知らない政治家に国難に当たれるような者はいないという意味だ。

鹿野の出馬への意欲は並々ではないらしい。規約上は新代表の任期は来年9月まで。その間にある程度政治のレールを敷けるのは限られる。

■号砲を待ちきれない永田町観客席

 ところで当の小沢の現状は、「一兵卒」として静かにしている状況では全くなくなった。政権居座りにあの手この手を使った菅も退陣時期が目の前に迫った。小沢自身は党員資格が停止されているから代表選の投票権はないが、党内へのにらみは十分すぎるほどある。
 その小沢は「代表選直前まで言わない」と、誰を推すかはっきりさせていない。最大勢力のボスがモノを言えば、それで流れは決まる。小沢が黙っているのは、反小沢グループの結束をぎりぎりまで見極めて断を下す作戦からだ。前原が態度を決めかね、仙谷と頻繁に会っているのも、小沢の動きが読めないからである。

 小沢は鳩山と会談、「菅後継は推さない」ことを確認した。つまり、小沢処分に名を連ねたような新代表は認めない、ということだ。
 小沢戦略を先読みすれば、民主党はいずれ分裂せざるを得ない。傷口を深くしたまま、かつてのようなトロイカ体制をとることはできないと判断しているはずだ。その時に向けて政党再編をどうするかに頭が移っているのではないか。

 まだ代表選は予定候補がスタートラインに立ったわけではない。
 競馬に例えるのも何だが、まともにゲートインしたのは野田だけ。馬淵、海江田、さらに鹿野も気負いこむ馬に乗ってゲートイン寸前の状態だ。

 ゲート前はいななく馬で熱くなっており、観客席(永田町)は号砲を待ちきれなくなった大歓声で最高潮に達している。
 だが、こんな状態は一刻も早く幕を下ろし、政治空白を終わりにしてもらいたいと切に思うのは国民である。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)