雑記帳

2011年8月15日

「大連立」の前になすべきことはないのか

次期政権に必要なのは政策の真摯な実行だ

 菅首相の退陣が現実味を帯び出し、政局は「大連立」を巡って本格的な駆け引きが始まった。

 ポスト菅を狙って最新号の月刊誌に政権構想を発表した野田財務相は、13日のテレビ番組で「救国内閣をつくるべきだ」と強力な連立内閣で当面する懸案を解決するよう強調、「そうしないと政治は前進しない」と明言した。
 既に民主党代表選出馬を表明した馬淵前国土交通相は、自民党との「大連立は否定しない」と言いながらも、「現実的に可能なのか見極めないといけない」と否定的だ。
 代表選には小沢元環境相も意欲を示し、ベテランの鹿野農相を担ぐ動きも活発。いずれ、大連立は代表選で枢要なテーマになることは間違いない。だが、そのこと自体に民主党政権の弱さが表れていると言える。何故ならば、民主党単独では政権維持が困難になっているからだ。
 だが今の大連立論には中長期的展望、つまり大震災をきっかけとして問われる政治のあり方を大胆に見直す政治的展望があってのことではない。どこまでも、当面する政治課題をどう乗り越えるかの戦術にとどまり、戦略を描いたものではないのである。

 大連立は口で言うほど単純でないことは野田氏も認めている。同じ党内にあってなお物の見方、考え方が違うのは政権に就いた民主党内で特に目立つ。「政治とカネ」を物差しにした小沢グループと反小沢グループのいがみ合いは、およそ公党とは言えない次元の低い喧嘩でしかない。
 自民、社会両党が真正面から対決した「55年体制」の時代、当時の社会党は右派と左派に分かれていたし、自民党も派閥が一つの政党として勢力を競い合った。だが当時の自民も社会党も他党に対しては内輪の弱点をさらけ出すことはなかった。民主党のいがみ合いを見ていると、政治理念を脇に置いたまるで子どもの喧嘩である。

 日本の針路を切り開こうとするのであれば、大連立などと言う前にまずは足元の党内を一つにまとめることがスタートだ。それができないのであれば、大連立などを考えるべきではない。

 (注)ブログ(68)「大連立に大義はあるか」=http://bit.ly/hxZoUw 「鎌倉日誌」(11年6月6日)を参照。

■大震災が政権の危機を救った

  では何故、連立、大連立なのか。改めて問題点を簡単に整理してみる。

 連立論の是非はともかく、その必要性が言われる最大の理由は衆参両院の多数が異なる「ねじれ」で、政府提案の法案が成立する打率≠ェ極めて悪いことだ。
 菅政権になって初めての本格的な国会となった昨年秋の臨時国会は、政府提出法案の成立率は過去10年間で最低の37・8%。菅首相が言う「熟議の国会」には程遠い惨状だった。法案審議もまともにできないありさまは、国民の政治不信をかつてないほどに高めてしまった。
 それゆえ、2011年1月の通常国会は、まさしく法案処理もままならない弱体政権の新年の幕開けであり、昨年暮れからささやかれていた政権の危機は早ければ2月にも…とされ、さらには「3月危機説」がまことしやかにささやかれるようになったのである。率直に言って、新年度(11年度)予算案審議どころではなかった。
 この明日をも知れない菅政権を救ったのは、皮肉にも「東日本大震災」という国難だったことは誰でも知るところだ。菅政権は寸でのところで命拾いをしたのである。

 与野党それぞれに言い分はある。
 政権与党にすれば、「3・11」という国難に与野党が一致協力して当たらないことには、大震災の復旧・復興はできないと言う。挙国一致で国難に当たるべき、は正論だ。
 だが、その正論が大震災を隠れ蓑にしたものであることが直ぐに分かるから野党は乗ってこない。それでわずかな手勢しかいない社民党に密かににじり寄って政策協調を打診したり、公明党のご機嫌伺いをしたり、さらには与党への取り込みを画策したりもした。
 一方の野党にすれば、国会運営もままならない政権側に手を貸すいわれはない。逆に政権の弱みに付け込んで立ち往生させ、崩壊に追い込めばそれに越したことはない。
 だから、実現不能となったマニフェストにしがみついて、機動的・効果的な震災対策ができない政権に協力はできないと強面で揺さぶりをかけ続け、マニフェストの全面的な撤回を求めたのである。

 こうした政権と野党の原則論の応酬が国会審議を立ち往生させ、国会史上前例がないような低い法案成立につながってしまった。

■自己弁護に終始

 「3・11」以来の政権の迷走は周知のとおりだから説明を省く。が、国会審議のマヒの責任の多くは野党にというよりも政権側にあるのは間違いない。

 原発事故対応での初動の間違いと場当たり的な事故対応は、責任の所在をあいまいにしながら今なお引きずったままだ。原発の安全性確保と規制強化を世界に宣言しても、肝心の足元の霞が関の旧態に根本的なメスを入れることができないのだから、世界は信用するはずがない。
 原子力安全・保安院と原子力安全委員会という、原子力安全規制に重要な役割を果たすべき機関が、いまだに原子力信奉にしがみつき自己弁護に終始していることも、原発対応が極めてずさんだったことを浮き彫りにしている。
 また補正予算も含めて予算編成の手続きのまずさと遅さ、さらには予算を実行するための法案処理が国会対策の稚拙さで与野党折衝の時間を浪費、挙げ句は与党執行部が主体的に結論をだすことができない異常さを再三露呈した。
 党執行部は「政権に就いてまだ2年」と政策の足踏みを言い訳するが、政権を手にした以上、在任期間の短さで政権迷走を正当化できるものではない。

 そうした政権の党内事情を引きずりながら、大連立を模索してきたのが菅政権である。

 その菅政権も首相が退陣の3条件とした第2次補正予算ができて公債特例法案成立にメドが付き、三つ目の「再生可能エネルギー特措法案」も自民党との調整協議を経て月内にも成立する見通しになった。
 となると、もはや菅首相が政権に居座る理由はなくなる。その見通しが自分なりにできたから10日の衆院の委員会で
「2法案が成立したときには、私の言葉をきちんと実行に移したい」と退陣の意向を確認、12日の閣僚懇談会で公債特例法案と再生エネ法案が成立したら内閣総辞職すると表明したのである。

■退陣後の役割を模索する首相

 野田氏の「救国内閣」発言は何のことはない。民主党政権の力量では現在の危機的状況を乗り越えられないことを認めたことだ。野田氏がかつて言った「怨念の政治からの脱却」は、野党と渡り合う以前の党内をまとめきれない菅首相や執行部に対する注文だが、それ以上に菅政権の先行きを見越しての党代表選を意識した小沢グループへの秋波だった。

 野田氏の大連立を念頭に置いた提案に自民党は慎重な姿勢を崩していない。「大連立は例外中の例外」で「閣外の立場で震災の復旧・復興には協力するが、外交や他の政策で考え方が違う。是々非々で行く」(谷垣総裁、朝日新聞)であり、公明党が大連立に慎重なのも党の存在感を左右しかねないからで、言葉の上での「救国」は政治的にはなかなか乗りにくい提案なのだ。
 いずれ政権復帰を目指す公明党にとっては、政界大編成ともなれば、政権復帰どころかキャスティングボートも失い影響力もない、ただの政党になりかねない危うさを伴う。

 菅首相は今年3月、大震災を受けて自民党の谷垣総裁に「副総裁兼震災復興担当相」としての入閣を電話で要請したことがあった。自民党は即刻拒否したが、首相は大連立にこだわっているとも思えない。首相はむしろ「退陣後の自分の役割」を意識しだしているふしが見受けられる。そのためには大連立は必ずしも好ましい政権ではない、と判断しているのではないか。
 あわよくば、再生エネルギー法案をてこにした「院政」を頭に描いているのではないかとさえ思わせる。

■バブル政党≠フ弱点

 大震災の復旧・復興の道のりは極めて厳しい。「がんばれニッポン」の掛け声は大きいが、「3・11」から5カ月が経った現状は、国民総出の復旧・復興態勢とは言い難い。被災地に駆けつけるボランティアの数も阪神神戸大震災に比べると3分の1程度だし、先細り感があるのも否めない。
 政治的関心の低下も懸念される。大震災の復旧・復興は、がれきのまちの再建だけではない。原発事故の収束はいつになるか全く見通しも立たない。

 以前にも指摘したが、大震災は皮肉にも政権担当能力の劣る菅政権の下で起きてしまった。旧政権に辟易した国民が選んだ政権交代は正しかったが、その政権が統治力をこれほど欠いた集団だとは誰も思わなかった。
 国民の期待の大きさでバブル的に膨らんだ民主党政権の最大の弱点は、小沢元代表が言うように「基礎的な訓練や政策の勉強をしないでぴょんと出の政治家が偉くなってしまったヤツばかり」だから、元々修羅場を潜り抜ける力も度胸もない。
 マニフェストのバラの花を振りかざして歓心を誘った大きなツケが2年目を迎えた政権に重くのしかかっている。

■ベテランの知恵こそ必要

 もし連立の方向付けで合意ができたとしても、具体的な内政、外交全般にわたる政策の調整は嫌になるくらい時間とエネルギーを使うことになる。今の永田町にはそれに耐え場面の展開次第で即決できるような指導力を持った政治家はいるのか。否と言わざるを得ない。
 大連立は政治論的に言うことができても、永田町の現状を見れば青臭い論議≠ニ言わざるを得ない。それこそ「ぴょんと出」の政治家に、そんな芸当ができるわけがない。

 民主党政権が発足してからやたらに目に付いたのは、「耳当たりのいい約束」が飛び交ったことである。いわゆる、実体、実行を伴わない「口先政治」だ。そんな感覚で政治が務まるわけがない。
 大震災は経済大国を謳歌した日本をたたきのめした。そして危機に瀕した国家運営の知恵のなさを露呈してしまった。国難の真っ只中いる日本をいかに立て直すかが政治の最大の課題であり責務だ。それに応えられる政治態勢をつくらなければならない。ベテランの知恵が最も求められることを忘れてはならない。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)