雑記帳

2011年7月31日

「吼える国対委員長」(ブログ)

(注)「徒然日記」に後段を追加

◎怒っている場合ではない

 国会戦略を練るのが政党の国会対策委員会だから、政権政党の国対委員長ともなれば党3役にも劣らない役割を果たさなければならないし、またそれが求められる重要ポストである。
 民主党の安住国対委員長が「吼えて」いるようだ。吼えている理由はマスコミ各社が報じているように、東日本大震災の復旧・復興に関して当該知事たちが「言いたいことを言っている」かららしい。

 新聞、通信各社によれば、こんな具合だ。

 自治体の首長は
 「国からお金をもらって自分は言いたいことを言い、できなかったら国のせいにすればいい」 などと批判、さらにこうも言っている。
 「『知事は頑張っている』と言うが、仕組みが違う。自治体の首長は都合がいい。増税しないんですから。国からお金をもらって自分は言いたいことを言い、できなかったら国のせいにすればいい」
 「『増税も無駄の削減も国会議員がやれ』と、立派なことは言うけれども泥をかぶらないという仕組みをなんとかしないといけない」

 さらに安住氏は被災地の有権者にかみついた。
 「家、財産、家族がなくなった人は不満を持っているが、だからといって『全部国会議員が悪い』というのは感情的な話だ」

  いかにも短絡的なカミツキである。

安住氏の言い分が全部間違いだとは言わない。自身も被災地の宮城県石巻市出身で一生懸命頑張っているのに分かってもらえない、そんな不満が高じて、第3者的な言い方を飛び越えた言葉になったのかもしれない。
 だが選良たる立場で、そこまで言っていいはずはない。腹にたまったものをそのまま口に出して、何が解決すると思うのか。他の政治家以上に被災者の気持ちが分かるなら、矛先は自分が属する政権や霞が関に向けるべきではないか。

 首長や被災者に不満をぶつけるなどは、間違いもはなはだしい。

傍線を引いた「仕組み」を問題にするなら、それこそ民主党政権のオハコの地域主権を放置しておかないで、一刻も早く実現すべきなのに、現状は棚上げ状態である。自己批判こそあれ、地方に言う言葉ではない。

 安住氏はNHK政治部出身のれっきとした記者OBである。私から見れば十分な記者生活を送ったとは言えないが、記者出身なら東京・永田町や霞が関といったわが国の政治や行政の中枢がどんなものかを知っていたはずだ。
 報道にとって権力とは何なのか、どう対処しなければならないかは、教えられなくとも身につく。

 度し難い旧政権に辟易して国民は政権交代を実現させた。彼自身、政権で選対委員長や防衛副大臣など党、内閣の枢要ポストに就き、やる気も満々だった。国対委員長になってからは衆参のねじれに悩まされ、国会対策が大変だったことは分かる。
 「国対」は時には「清濁併せ呑む」ことも求められる。きれいごとだけでは国会は回らない。政党政治の歴史の中で国対が果たした役割は大きい。「裏国対」と称する、野党との水面下の折衝もごく当たり前だった。大っぴらにけんかしている風を装って、裏で内々話をつける生臭い芸当も時には必要だった。

 安住氏が公然と菅首相を批判したのは7月5日、国会内で開かれた党常任幹事会で、だった。

 「本当に情けない内閣だ。党として支える価値があるのか、率直に怒りを感じる。それだけです!」「こんなことでは、恥ずかしくて石巻にも帰れない」(産経新聞)

 と捨てぜりふを吐いて幹事会の場からいきなり退席した。
 松本復興相辞任の後継を巡るドタバタにキレてしまったのだが、その前に菅首相の国会対策を無視するような言動が続いていたことが伏線だった。

 内閣と党がバラバラ、同床異夢と言っていいような政権は珍しいどころか政党史上稀だ。それで世の中が回るのだから何とも言いようがない。大震災に遭っても沈着冷静さを失わないわが国民の別の一面かもしれない。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)