雑記帳

2011年7月16日

「脱原発」(ブログ)

◎また飛び出した首相の「独り相撲」


 原発の「ストレステスト」で閣内、党内外を混乱させたと思ったら、「将来的には原発に依存しない社会を目指す」と言った菅首相が、「あれは政府の見解ではなく、私の個人的な考え」と釈明した。またも、独り相撲である。
 首相の「脱原発」は13日夕、急きょ記者会見をセットして表明したもので、問われて語ったものではない。会見に臨んだ記者だけでなく、テレビ中継された会見を見た人なら誰でも、「首相はいよいよ脱原発の腹を固めた」と思ったはずだ。
 ところがである。首相が会見で自信満々に語ったことを知った閣僚たちはその日のうちに「(事前に)聞いていない」「首相の希望ではないか」と疑問を投げ掛けている。
 首相は15日の閣僚懇談会で「自分の考えを述べた」と説明したが、それも閣僚から「内閣の考えか、もしくは総理の思いなのか」を質問されての答え。そして、この「考え」は同日の衆院本会議でも表明、政権の方針ではないと説明している。
 一国の政治の最高指導者たる首相が、自ら会見して強調してみせた言葉は「一体何なのか」である。
 非公式な場での「呟き」とか、周りから問われて語ったものではない。政治のトップリーダーが公式の場、それも自ら国民に語り掛ける場としての記者会見で語った内容が、単なる「私の希望」で片付けられたのでは、原発事故に翻弄され、明日がどうなるかも分からない不安な生活を余儀なくされている人たちや、原発問題に四苦八苦している関係者にどう説明できるというのか。独り相撲もいい加減にしてほしい。

 彼の言葉の軽さが嫌でも思い出される。HP(http://bit.ly/hxZoUw)でも再三指摘しているが、昨年の参院選当時の「消費税増税」だけではない。政敵・小沢を追い込もうとした「政治とカネ」が、外国人からの政治献金が発覚して自分にも降りかかった時の言い訳、さらには、どこまで考え抜いたのか分からない財政再建問題、尖閣諸島海域での中国漁船衝突問題での責任回避、原発事故対応での混乱である。
 特に冒頭に挙げた「ストレステスト」は、海江田経産相が玄海原発の地元の佐賀県と玄海町を訪問して運転再開を懇願して帰京した直後に突然飛び出した。
 経産相の原発運転再開の方針を「私も同じ」と言っていた当の本人が、手のひらを返すように玄海原発の運転再開に水を差すストレステストの実施を言い出したのだから、どんなに首相の言い分を好意的に考えようにも、その言葉の落差は如何ともし難い。
 フクシマを考えるまでもなく、将来展望として「原発依存を小さくしよう」という考えは間違いではない。いや正しいと言った方がいい。
 会見までして「私の考え」を言うのであれば、その前に内閣で最低限の方向付けをしておくのが当たり前なのだが、それをしなかった。だから各閣僚が驚き、戸惑い、それこそ「統一見解」がないものだから、各閣僚は言葉を濁すか、「聞いていない」「首相の思いなのだろう」「分からない」という反応しか返ってこない。
 閣内がそうだし、ましてや見向きもされない党内が猛反発するのは当然だし、それが菅政権の現状なのである。
 「退陣表明」以来の首相の言動は、あきれるくらいこの国の政治の体たらくを国民の前に見せ付けた。そのうえ、主要国首脳会議(サミット)構成国の一員として大震災からの再生を世界に示し、存在感を見せるべきこのタイミングで全く逆に世界の信を失うような実体をさらけ出している。
 菅首相に猛省を促す段階はとっくに過ぎている。緊急を要する原発事故処理とは無縁の「再生エネ法案」を退陣の条件にするなどは、「隙あらば延命」を画策する以外の何ものでもない。「死に体内閣」の醜態をこれ以上続けるべきではない。


(尾形宣夫のホームページ「」鎌倉日誌)