雑記帳

2011年7月4日

◎復興相の暴言(ブログ)

 =政権も焼きが回った=

「民主党も自民党も嫌いだ。私は被災者に寄り添っていく」
 サングラスをかけた会見や、復興担当グループを自分の名前をもじって「チーム・ドラゴン」と名付けるなど、菅政権の中では少しばかりやる気を感じさせた松本復興相だったが、とうとう本性を現してしまった。

 3日に岩手、宮城両県を訪ねた復興相は、岩手県の達増知事に「知恵を出したところは助けるが、出さないやつは助けないぐらいの気持ちを持って」と語り、宮城県の村井知事には「県は漁港集約の意見集約をちゃんとやれ。やらなかったら政府も何もしない」と厳しく注文を付けた。
 漁業特区構想が大震災復興構想会議の答申に盛り込まれるなど村井知事の提案は注目されるが、肝心の県漁連が特区に強く反対するなど足元が定まっていない。復興相はそうした現実を知っているから「注意」したのだろうが、復興相の気持ちを苛立たせたのはもっと低次元な話だ。

宮城県庁に着いたが、自分(復興相)を迎えるべき村井知事が後から会談場所に現れたのが癇に障ったようだ。挨拶しようと知事は手を差し伸べたが握手を断られ、震災対策の説明を始めようとしたとことろ「それは知っている」と漁港集約の話を持ち出した。
 そして復興相は、「お客さんが来るときは、自分が入ってきてから呼べ」「長幼の序を知っているだろう。自衛隊にいたのだから」と、大臣の自分に対する礼を失した態度を叱ったのだ。
 村井知事が自衛隊出身であることを知っており、規律や上下関係が厳しい社会を経験しているのに「何だ」と言わんばかりの叱責だ。
 復興相が知事の入室をイライラしながら待つ様子や、知事が来てからの2人のやり取りの一部始終を地元テレビが撮っていた。会談終了後、復興相は「これは全部オフレコ。(ニュースとして)流した会社は終わりだ」と語っている。これも、そのままテレビで流れた。
 復興相がなぜこんなにイラつき、言葉乱暴に知事を叱ったかは、本人が何も言わないから断定はできないが、多少好意的に推測すれば、政局の混乱で政府の復旧・復興が順調に進まない現状への苛立ちを、担当相としての胸の内をさらけ出し、被災地も要望ばかりでなく自己努力をせよ求めたと解することもできる。
 しかし、両県知事との会談は、復興対策を話し合うというより知事らをなじり、やる気がないなら国は手を貸さない、と言わんばかりの暴言だった。
 もっとも許せないのは、村井知事に対する言葉を「これはオフレコだ。ニュースとして流したら、その社は終わりだ」と言ったことだ。何様になったつもりで、そんなことを言うのか。図に乗るのもいい加減にしろと言いたい。

復興相の言動は奇行としか言いようがない。ニュースはインターネット放送でも取り上げられる騒ぎになったが、復興相は反省するどころか、(村井知事との)やり取りをよく見てくれと突っぱねていたが、今日夕方になって一転謝罪した。
 だが、その言い訳が振るっている。「私は九州出身で言葉が荒かったかもしれない」「(血液型が)B型の人間だから」などと、およそ言い訳にもならないことを並べたて、反省の気持ちはほとんど感じられない。九州出身者やB型の人がすべて同じだといわんばかりではないか。政治家としての器量を全く欠いたとしか言いようがない。
 こんなざまでは、ようやく軌道に乗りかけた感のある国会審議も、新たな火種を持ち込み、またも先行き不透明となるだろう。
 野党は勢い込んでおり、復興相更迭や首相の任命責任も問われることは避けられない。復興相の暴言は、「言った、言わない」の話ではない。テレビで一部始終が視聴者の目に焼きついたのだから、もう逃げはきかない。

復興相は「男気」が強いそうだが、男気をぶつける対象を間違えている。更迭がささやかれている。政権末期は、考えもしないような事が起きる。菅首相は拒む松本氏を何とか説得、復興相就任を頼んだ。首相も逃げがきかないだろう。政権はいよいよ焼きが回ったようだ。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)