雑記帳

2011年6月21日

◎末期的症状の菅政権(ブログ)=差し替え


  =マスコミの出番ではないのか=

会期末を目前にした菅政権の醜態は、あれほど約束した震災対策を脇に追いやって政権延命だけの駆け引きに終始していることである。21日に決めるはずだった今国会の会期延長幅は宙に浮き、執行部がもくろんだ「50日間程度の延長」は、菅首相は再生エネルギー法案の成立を譲らなかったため成案とならなかった。このため国会は、衆院本会議を会期末の22日に先送りするという異例に事態になった。

そもそも、どうしてこんなに延長幅がもめるのか。
 仮にも政治キャリアの豊富な布陣を敷いたはずの政権党の執行部ではなかったのか。それが、内輪で「辞任も含めた強硬な意思統一」をしておきながらごねる首相を説得できず、野党の自公両党の幹部にぼやいて見せるのだから野党側が画態度硬化させ、「出直して来い」と突き放すのは当然である。岡田執行部は何もできずに立ち往生、1人首相がニンマリとしている様子が見えるようだ。
 首相にとって再生エネルギー法案を自前の政権で成立させるのは悲願だ。その考えは枝野官房長官によれば「野党時代からの命題」らしく、政権の瀬戸際のいま、何としても実現させる最後のチャンスと思い込んでいるのだろう。
 だが、この「再生エネ法案」は、首相が明言した「退陣の一つのめど」とは程遠いものだ。首相が国民に向かって約束した「退陣のめど」は、大震災対策の方向付けができることであり、原発依存を少なくする再生エネルギーの開発は中長期的なエネルギー戦略である。それを今持ち出すことは、長期政権も厭わない延命策と誰もが思うだろう。

問題なのは、次々とそんなクセ球を繰り出す首相を説得できない、説得しようとしない執行部である。「120日」「50日程度」という会期延長幅も、執行部が首相の意を汲みながら野党との接点を断ち切らないでどうにか落としどころを見つけようという苦渋の選択肢と言えなくもない。
 しかし、首相の思惑と野党の狙いは、所詮交じり合うことのない水と油である。その両者の間を行きつ、戻りつする岡田執行部は文字通り「子どもの遣い」に似ている。仮にもかつて民主党代表を務めた人物とは思えない。執行部の煮え切らない退陣要求が事態を悪くしているのは明らかだ。

 話を少し元に戻してみよう。
 20日夜に東京・永田町の首相公邸で行われた首相と執行部との会談は、結局、首相の再生エネルギー法案の追加提示で押し切られ、退陣時期はもとより与党としての会期延長幅も決められずに終わった。執行部が会談を前に行った自公幹事長との協議では首相が譲らなければ「辞任」も突きつけるほどの約束だったが、開いて見れば「(退陣要求を)言ったような、言わないような」煮え切らない会談だったのである。
 というのも、首相が震災対策とは直接関係のない「再生エネルギー法案」の成立を持ち出し、執行部はこれを取り入れた形で会期延長幅を考えざるを得なくなったからだ。「延長幅と退陣時期は同じではない」と言い訳したところで、早期退陣を迫る自公両党が納得するはずもない。21日の執行部の動きを見ると、何一つ決め手のないまま国会内を渡り歩いただけとしか言いようがない。

首相が「再生エネ法案」にこだわるのは、野党時代からの問題意識だけではない。経産省と東電に対する首相の抜き難い不信感の方が大きい。両者を「抵抗勢力」とも言っているというから、尋常ではない。本来なら首相と執行部の溝がこれほど大きくなったら政権はもたないはずなのだが、そんな政界の常識は現政権には当てはまらない。双方とも真に国政の現状を憂いていないからだ。
 
政権に自浄能力がないのだからどうすればいいかを考えなければならない。
 ここはマスコミの出番しかないと私は思う。特に中央大手紙、テレビキー局が政権を厳しく断じ、健全な政局への転換を求めるしかないだろう。この段階に至れば、マスコミは政局を面白おかしく論じている場合ではない。特に各社のコラムニスト、論説子が紙面で、テレビで政権に大局の判断を要求すべきだろう。

 菅政権は、明らかに民意から離れた。「私は決して諦めない」などと言い、Vサインをして見せている。滑稽そのものだ。もはや異常としか言いようのない政権となってしまった。政権に好意的であるべき財界までもが突き放した言い方をしているのを見ても政権の体をなしていないのは明らかだ。
 毎日新聞(21日付)は経団連の米倉会長が会見で「自分が言ったことをちゃんと実行しないと、若い人たちの教育上も具合が悪い」と述べたと紹介、菅首相がトップの座に“居座る”姿勢を示していることが政策の停滞を生んでいるとの経済界のいら立ちがあるようだと書いている。
 そして、大震災発生から成立に3カ月以上かかった復興基本法についても「復興特区などの実現には、新たな法律を制定しなければならない。何と悠長なことをやっているのか」と政治のスピード感の無さを厳しく批判、「政治の実行力、判断力、すべて物足りない」と、菅政権や与野党の震災対応を酷評している。
  政権「与党」の財界からも見放された菅政権が何を言おうと、周りはその一言一言を政権延命に結び付けて聞くようでは、まさしく「裸の王様」でしかない。三流の政治を戒めることができるのは、「一流の国民」である。マスコミも、そのつもりで自らの責務を果たさなければならない。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)