雑記帳

2011年6月19日

◎大震災から100日(ブログ)=(2)

21世紀臨調の緊急提言

 菅首相が続投の意欲を強めていることに困惑する執行部が打ち出した大幅会期延長論も、野党対策というよりも早期退陣の道を探る執行部が、「菅処理」に窮したからである。
 首相のつかみどころのない責任論に業を煮やした岡田幹事長や玄葉政調会長(国家戦略相)、仙谷官房副長官らが自らの辞任と引き換えに説得に当たっている。だが首相にすれば、執行部が早期退陣の「遠吠え」をしているだけとしか見えない。首相に引導を渡せないのは、執行部が党内をまとめきれていないからで、首相自身も自ら弱みを見せる必要はないと思っているからだろう。
 執行部が想定する会期の大幅延長は、野党が要求する震災対策に万全を期すという名目とは別に、対野党を念頭に「延長幅と首相の退陣時期は別だ」として、一歩も引こうとしない首相を追い込む苦し紛れにひねり出したものだ。
 しかし、頑なになる一方の野党は本気で乗ってこないし、首相自身も聞く耳を持たない。執行部は19日夜首相に会い、執拗に早期退陣を迫るが、首相は退陣の言質を与えるどころか、「責任のまっとう」を聞かされるだけだろう。

菅首相に退陣を迫っているのは東京・永田町だけではない。国民はもうとっくにうんざりしている。そんな中で、有識者でつくる「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)が会期末の22日までに退陣時期を明言するよう求める緊急提言を出した。21世紀臨調が政権に退陣を迫るなど極めて異例なことだ。政治改革などを巡って提言することはあったが、それだけ政権が末期的症状をきたしているということである。
 記者会見した21世紀臨調共同代表の佐々木毅元東大総長「日本の政治は先進国の政治には値しない。極めて深刻な状況」とした上で、「次回代表選を民主党最後の代表選のような覚悟で、新たな形での党の求心力を高める最後の努力をすることだ」と述べた、と17日付の産経新聞は伝えている。

■運転再開の「安全宣言」は拙速だ

 最後に「フクシマ」に触れる。
 政府の原子力災害対策本部が国際原子力機関(IAEA)に報告した内容は、津波や原発炉心の重大な損傷を招いた過酷事故への対策などで、それまで指摘されていた不備を政府としてほぼ全面的に認め、過酷事故防止策や対応策の強化、安全確保の基盤の強化などを列記している。
 特に、政府部内と現地対策本部、東電の役割分担や責任、権限が明確でなく、事故情報の公表が遅れるなどで国民に不安を与えたと指摘した。このため、原発の安全規制行政と安全確保の責任を持つ機関が不明確だったとして、経産省に属していた原子力安全・保安院の独立を明記し、原子力安全委員会も含めて規制行政のあり方を見直すとした。
 報告書はフクシマの教訓を世界に発信するものだが、政、官、業が一体となった原子力産業の態勢見直しは口で言うほど簡単ではない。この数十年の間、張り巡らされた「原子力村」が生まれ変わるには、政治・行政の意識改革と原発の是非を含めた国民レベルでのエネルギー論議が十分なされなければならない。

 これに対しIAEAが日本での事故調査をまとめ、加盟各国に配布した最終報告書は、福島原発の津波対策などが不十分だったと改めて指摘し、日本の複雑な組織が緊急対応を遅らせる可能性にも触れ、安全規制当局の「独立や役割の明確化」の確保も求めた。特に、津波の想定した高さは過小評価で、規制当局もこれを見逃した、とした。
 報告書は20日からウィーンで始まるIAEA閣僚会議で報告されるが、日本政府は会議に出席する海江田経産相が出発前に会見、「各地の原発の緊急安全対策は適切に実施されている」とし、定期点検で停止中の原発の運転再開を要請した。

 だが、経産相の「安全宣言」は、どう考えても早すぎる。IAEA閣僚会議で日本の原発の安全性をアピールする前に、急ぎ発表したとしか思えない。大体、IAEAへの報告書に基づいて電力各社に追加安全対策を指示してからわずか11日しか経っていない。
 わずか11日間で何を、どう確認したというのだろうか。夏場の電力不足への懸念、原発立地の知事らから政府が責任を持って安全を確認するよう迫られている。その求めに応じざるを得なかったことに加えて、全世界が注視するIAEA閣僚会議で、何とか日本不信を払拭したい。そのための「安全宣言」ではないのか、と疑われても仕方がない宣言だった。
 宣言は海江田氏主導したのか、あるいは経産省官僚の入れ知恵なのか断定できないが、官僚はそんな危うい橋を渡ることはしない。政治主導の「取り繕い」の宣言ではないのかと思わざるを得ない。

福島第1原発では増え続ける汚染水の処理策として17日夜から始めた高濃度汚染水を循環浄化する運転がわずか5時間で停止した。1〜3号機の炉心冷却に汚染水を浄化して再利用するこの方法は、いわば汚染水があふれるのを防ぐための当面の切り札とも言える。それが、「原因不明」の原因で動かせなくなった。考えられるぎりぎりの対策が次々と難問にぶつかるのは、建屋、原子炉内の実体が分からないまま想定の上で対策を講じるためだからで、闇夜を手探りで歩くに等しい
 浄化再稼動の猶予10日しかないという。できなければ、増え続ける汚染水があふれ出す可能性が高い。もはや、一刻の猶予もないのである。
 経産相が安全宣言した同じ日に汚染水浄化処理に黄信号がともった。IAEA閣僚会議で、何と説明するのか。あまりにも危機感がなさ過ぎる安全宣言と言わざるを得ない。原発を抱える地域の知事たちからは、一斉に不満、反発がわき上がっているのも当然である。

 大震災から100日。福島を除く被災地は、難しい問題をいっぱい抱えながらも、どうにか復旧・復興の道を歩み始めた。
 ところが、原発事故が加わった
福島県民にとって、復旧・復興は「先の話」である。原発事故の現場は、新たな脅威が現れている。放射性物質の拡散は、首都圏、中部圏にも及んでいる。際限なき脅威の拡散を抑える術はない。
 あらためて、原発の「安全神話」の虚構を国民は否応なく思い知らされた。快適で便利な生活の維持、日本経済の国際競争力の保持といった現実論を無碍に否定できないことも確かだが、中長期的に原発の是非論を国民レベルで論じ合う時がきた。
 政治は結論を急ぐべきではない。未曾有の大震災に拙速は厳禁である。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)