雑記帳

2011年6月6日

◎大連立に大義はあるか(ブログ)

 今日の朝刊各紙は民主、自民の大連立の動きを伝え、読売は社説でその必要性を強調している。菅首相の退陣表明で大連立が当たり前のように言われ出したが、そもそも今連立が本当に必要で、その可能性があるのだろうか。メディアに煽られないで冷静に考えたい。
 大震災対応の力と能力に限界がはっきりしていた現政権が、事もあろうに内輪喧嘩にうつつを抜かし、挙句の果てに首相が退陣を表明せざるを得なかった。誰もが新体制スタートを思うのだが、にわか政権の限界なのか、あるいは権力のうまみが忘れられないのか、大連立という形で延命を画策し始めた。
 確かに、国難に直面する現状を見れば、一党一派がどうのこうの言っている場合ではない。それこそ、「大政翼賛会」などと悪口を言われても、総力を挙げて国民の生命・財産を守らなければならない時期である。だが、永田町の現状は、そんな真摯な思いで大連立を言っているとも思えない。
 連立と言う以上、政策、理念など政党が拠って立つ原則を外してはならない。民主党の岡田幹事長が、緊急時だから「時期を限って」と言うのも、この際、高邁な原則は脇に置いて国民のために頑張ろうというものだ。原理主義者と言われる幹事長が言うのもおかしいが、その考えに間違いはない。だが、大連立の中身は「民・自」の連合であることは確かだ。

 とすれば、公明をはじめとする他の政党はどうするのか。大連立の計算は単なる衆参のねじれを乗り越えるものではないのか。その意図が見え見えだから、他党が乗ってこず反対しているのではないか。新聞が「公明、埋没を懸念」などと書くものだから余計疑心暗鬼になる。
 「期限を切った大連立」とは聞こえはいいが、それをやれるだけの度量と覚悟が民主党にあるのか。率直にいって、民主党の現状は政党の体を為していない。相も変わらず「試運転」から進歩していない。度量、覚悟はないに等しい。
 この「有期連立」に自民党は、形はどうあれ否定はしない。ただ、菅首相の月内退陣をぶっつけ、これが受け入れなければ政権側とは法案審議には応じないと突き放している。有期連立が菅政権の延命狙いだと見抜いているからで、この不信感は首相の今月中の退陣がなければ解けそうにない。
 かつて連立を組んだ公明との関係からしても譲れない一線だろう。埋没を懸念するのは、野党のみんなの党、社民、たちあがれ日本だけではない。政権与党の国民新党も同じだ。

世論調査を見れば、国民は政党がいがみ合う現状を「何とかしてくれ」と連立に前向きな声が多い。だが、政党側がその気持ちを真に受け止めているか、理解しているかと言えば、はなはだ疑問だ。それだけ政治に対する不信感が強いということである。
 昨日、投開票された青森知事選は現職の三村申吾氏が3選を果たした。三村氏は自民、公明両党の推薦を受け、民主、国民新推薦の対立候補を抑え圧勝した。得票数は35万票と4倍強だった。ここでも民主は惨敗した。
 選挙にならなかったと言った方がいい。菅首相の辞める、辞めないで大騒ぎをしていたのだから、知事選どころではなかった。そもそも、党執行部に、「勝とう」などという気はなかった。だから、選挙結果についても、これといった感想もない。当然である。

 青森県は、言わずと知れた原子力の一大基地である。核燃料サイクル基地、東電(建設中、計画中)、東北電(既設、計画中)の東通原発、さらに電源開発の大間原発は建設中だ。特に核燃基地は、原子炉用核燃料の製造から再処理と廃棄を扱う施設だ。知事選でも原発の安全性は大きな問題となった。
 3選を果たした三村氏は原発の県内立地を進めてきた。特に目立つ産業のない青森県にとって原発や核燃施設の見返りとして県内自治体に交付されたカネは、この30年間で計2139億円(朝日新聞)に上る。地元自治体にとって「原子力」は生活に直結する「一大産業」なのだ。
 原発事故で大揺れの政局の中で行われた青森知事選は、原子力施設が集中するわ国のエネルギー政策の矛盾の一端を表しただけではない。政治にも重い一石を投じたのである。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)