【非正規雇用者の解雇】

◎これが経済大国の現状とは

 非正規雇用者の解雇が相次いでいる。
 1930年代の世界恐慌にも匹敵する危機的状況が、比較的良好と思われた日本経済にも襲いかかってきたのだ。トヨタ自動車、ソニー、キャノンなど世界に冠たる大企業の人員合理化が始まっている。主たる対象は、派遣労働者、季節工、アルバイト、パートなどいわゆる非正規雇用者である。外国為替は、米ドルが世界の基軸通貨として存在感を失って円が実力以上の評価を受ける「円高」が進み、輸出依存の日本経済の弱さを浮き彫りにしてしまった。
 企業の業績見通しは大幅な減益に追い込まれ、その経営危機感が待ったなしの人員整理につながっているわけだ。
 麻生内閣は精一杯の施策を打っているというが、総合経済対策は実質的にはいずれも年明けの通常国会を待たねばならない。対策の項目を並べただけでは、年内の苦境を潜り抜けることはできない。

解雇された非正規雇用者はホームレスとなって寒風に身を縮め、展望なき日々を過ごしているという。東京都内でボランティアが用意した食事もあっという間になくなってしまう映像をテレビが流していた。全国民に支給する定額給付金が、こうした現実にどれ程の生活支援になるのか。しかも、いつ支給されるのかも分からない。政治的思惑だけで飛び出したものが、目玉施策として吹聴されたが、現状は見るも無残な姿をさらしているだけだ。
 現在、非正規雇用者は全雇用者の3分の1を超える。働いている人の3人に1人は非正規雇用者だ。非正規雇用者には、政府が言うようなセイフティーネットの恩恵は届かない。雇用保険は一部あるが、それ以外の社会保険は大部分の人が対象外である。国民に等しく提供されるべきセイフティーネットの保障がない実態が、不況下で暴露された。政治と行政の無力を思わざるを得ない。

 ところで、経済界が非正規雇用を前面に打ち出したのは1995年のことである。この年、日経連(経団連と統合し、現在は日本経団連)が公表した「新時代の日本的経営」がそれだ。企業業績に直結する人件費の削減と効率的な経営による国際競争力の確立が命題だった。
 具体的には、雇用者を「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」に分け、労働力の「弾力化」「流動化」を進め、総人件費を節約しようというもの。
 思い起こしてみると、95年は1月に阪神淡路大震災、3月には地下鉄サリン事件が起きた。経済的には円高が急速に進み、4月には史上最高の1ドル=7975銭を記録し、円高不況の大波が襲ったのである。
 この時期は冷戦崩壊で世界の政治・経済秩序が混乱、日本では「失われた10年」の真っ只中、国中が狂奔したバブル経済が崩壊し苦しみの底に突き落とされていた時期でもあった。
 政治は自民党の単独政権が終わって93年に細川政権が成立、翌94年には村山政権が発足している。この村山内閣が96年1月退陣、自民党の橋本内閣が誕生した。
 混乱する世界情勢の中で、日本国内は政治も行政も経済も針路を見失ったかのような漂流を続ける中で、非正規雇用問題が動き出し法律と制度ができたのである。

経済が順風満帆の時は、非正規雇用が問題になることは表面化しない。が、経済が困難な局面に至ると、非正規雇用者は労働の「調整弁」として扱われることになる。その現実が今、表れているのである。
 企業経営にとって従業員とは何かという根本的な問題が整理されていない。雇用労働者を区分けする「新時代の日本的経営」は、極論するまでもなく企業の生き延び・生き残り戦略としての雇用形態だ。
 確かに余剰労働力を抱えた企業の苦しみは分かるが、それは雇用計画の誤りであり、経営側の責任が問われることがあっても、解雇される従業員に非はない。
 格差社会の拡大でワーキングプアが社会問題になっている今日、今度は非正規雇用者が職場から多数追いやられた。社会制度が異なるとはいえ、失業者が失望の淵に立たされるようなことがないオランダやスウェーデンと比べると、日本の雇用システムと雇用問題に対する社会的認識があまりにも弱く、低すぎはしないか。
 従業員の
知恵と能力は、職場が安定していればこそ発揮できるものだ。それが企業の業績向上につながるものであり、安心して働けない職場には将来性も期待できないだろう。
 非正規雇用の解雇に加えて、来春の就職内定の取り消しが広がっている。「100年に1度の危機」とはいえ、雇用不安に対する施策はお寒い限りである。
 グローバリゼーションの下での企業経営に余裕がなくなったことは確かだが、だからと言って非正規雇用者を便利な調整弁として切り捨てるやり方に、企業の社会的責任を見いだすことはできない。正規雇用者といえども、現状を対岸の火事と見ている余裕はないはずだ。

081216日)