雑記帳

2011年6月2日

◎解散権を行使すべきでない(ブログ)

 野党3党による菅内閣不信任決議案が、今日午後の衆院本会議で採決される。政局は最大の山場を迎えたことになる。
 政局に対する世論はかつてなく厳しい。不信任案の受け止め方も様々である。大震災の下での国民の本音はどこにあるのか。連日の新聞紙面だけではなかなか分かりにくい。新聞各紙、テレビ各局も2年前の歴史的政権交代の意義を脇に置いたような「政治とカネ」報道に終始している感を抱く国民は多かった。この流れに今日の衆院本会議が結論を出すことになるだろう。いやが上にも、今日午後の東京・永田町は国民の目を引き付けるだろう。

昨日の党首討論、そして自民、公明、たちあがれ日本の野党3党が衆院に提出した菅内閣不信任決議案をマスコミはどう見たのか整理し、さらに何が問題なのかを考えて見た。

 不信任案提出に対する大手、中央紙の論調は概ね2分された。
 各紙社説を読み比べると、朝日は「無責任にもほどがある」、日経は「政争にかまけている時間はない」と不信任案を一刀両断、返す刀で小沢グループの行動を厳しく批判している。両紙はこれまでの主張を一段と強めたもので、特に新味はない。大連立を求める読売は例によって、「救国連立模索なら理解できる」と条件付ながら不信任案に一定の理解を示している。

 これに対して産経は「首相の『人災』に今決別を」と大きく踏み込んだ。産経は「総選挙で国民の判断仰ごう 不信任案提出を問題視する意見があるが、どうだろうか」と疑問を投げ掛け、菅内閣が国民の信を失っていると切り捨てた。

 東京(中日)は、「政権にしがみつく菅首相と、引きずり降ろそうとする小沢氏ら。その対立に乗じて、民主党分裂をもくろむ自民党など野党側。結果として、最優先のはずの被災者対策すら先送りされてしまう。これが危機下の日本政治なのだろうか。荒涼たる風景に暗澹(あんたん)たる気持ちを禁じ得ない」と嘆いて見せている。

 要するに各紙の社説に見る論調は、総選挙をやるのがいいのか、悪いのかの違いでしかない。

 不信任案が可決されれば菅首相は解散に打って出るだろうというのが大方の見方だ。解散か総辞職かの二者択一だから、首相が最終的にどちらの判断を選ぶかである。
 解散論はこの不信任案が国民の意思から遠く離れた政局優先の動きを国民がどう思うかを問うものだ。忍耐も限界にきた被災地の苦しみを考えたら、政治空白は決して許されないと主張している。

 国民の目線に立てば、不信任案を突きつけた理由も同じである。国民の信を失った内閣が居座って、しかも肝心の震災対策が動かない現状を放置することは許されないというわけだ。

 ここで忘れてならないのは、各紙から総辞職論がほとんど聞こえてこないことである。戦後の復興期の政治的混乱に直面して「解散か総辞職か」を迫られて解散を狙った首相が周囲の反対で総辞職した例はある。菅政権の力に限界が見えたのであれば、政治空白を最小限にとどめる総辞職の選択は当然考えられるし、そうすべきだと思う。総選挙に打って出ることは、政争としては許されても大震災という国難の真っ只中にある国民のことを思えば現状では決して許されない。

 震災対策の中断は担当閣僚の留任で乗り越えることができる。本格政権でなくとも、緊急避難的に新リーダーを暫定的に就ける方策も当然考えられていると思う。大震災対策に見るべきものがない現状は、まさしく政治指導力の問題であり、「政治災」と言っても過言ではない。

 国民の窮状を思うならば、解散は絶対避けるべきだ。菅首相にこだわりがあるにしても、不信任案が可決されたら潔く総辞職の道を選ぶべきだろう。それが、2年前の政権交代の意義を温存する道であることを首相は肝に銘じてもらいたい。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)