雑記帳

2011年5月5日

◎原発の是非を問う機会がきた(ブログ)

 東日本大震災の復旧・復興に向けた助走が始まった。総額4兆円強の今年度第一次補正予算が成立し、東日本大震災復興構想会議(五百旗頭真議長)の被災地視察も惨憺たる災害の実態を確認したようだ。大型連休を利用した全国各地からの支援ボランティアも、受け入れ自治体の窓口に長い列をつくっていた。改めて、被災地を想う絆の強さを実感する。
 震災発生から間もなく2カ月を迎える。難しい問題はあるが、復旧復興対策基本法案はまだできていない。法案を巡る与野党の思惑のずれからだ。近く設置が見込まれる全閣僚が参加する復興対策本部(本部長=菅首相)が動き出せばと期待したいが、司令塔不在の復興態勢が機動性をもって機能するのか、まだまだ不安の種は尽きない。

「想定外」は言い訳にならない

原発を必要不可欠の発電施設として認めるのか、あるいは原発依存を弱めて脱原発の道を求めるのか。
 今回の東電福島第一原発事故を巡る各界の論争は一様でない。わが国の原発は、爆発・溶融事故を起こした沸騰水型(
BWR)と関西電力などの加圧水型(PWR)があるが、専門家の間で意見が分かれる「設計思想が優れている」といった問題にすり替えるべきではない。
 要は、今回の「想定外」と言われる大震災で、原発依存のエネルギー政策が明らかに曲がり角にきたという認識に立つことである。直ちに原発を廃止することは確かにできない。だが、想定外の事故が現実となった今、原発に頼ることの怖さをマクロ、ミクロの両面から詳細に検討を加え、必要とする場合は施設の安心・安全をどう確保するのか、どこに立地するのか、エネルギー政策のあり方を具体的に提示する必要がある。
 一方、脱原発を採用する場合は、現状の原発依存率約3割の代替施設の確保方策、あるいは電力エネルギーの利用・需要のあり方を国民生活レベルで議論し、中長期的な脱原発エネルギー政策を編み出すことが求められるだろう。

最近は下火になったようだが、大震災が「想定外」だったのかどうか。その上で福島原発事故は避けられなかったのかを、もう一度確認しておく必要があると思う。
 確かにマグニチュード90は、我々にとって信じ難い地震エネルギーだった。波高10数メートルの津波が沿岸部を襲った、この世のこととは思えない光景をテレビ映像で見る度に、ともすれば海面水位が数十センチ上昇する津波警報・注意報に慣れてしまった感覚のマヒに怖さを感じざるを得ない。

科学技術のモラルの問題

 原発を題材にした小説を発表し、そのもろさや、原発をめぐる社会のひずみを問いかけている作家・高村薫さんが53日のNHKの「ニュース・ウオッチ9」で語った言葉が印象的だった。
 事故は何故、避けられなかったのか。
 高村さんは「想定しなければならないことを想定しなかった。『これで大丈夫だろうか』と考える時に、自分に都合のいいように恣意的に考えてきた。科学技術のモラルの問題だ」と語っている。
 高村さんが言った「自分に都合のいいように」を聞いて、私は先にHPでも書いたが、日中戦争やノモンハン事件、太平洋戦争当時の大本営、参謀本部の考え方に共通することを思い出した。
 つまり、ノモンハンも関東軍の南方転進も軍部の「おごり」と強力なソ連軍の侵攻を日ソ中立条約を根拠に「考えたくない」出来事として、勝手に都合よく解釈した。その結果は、信じたくない敗北を重ねることになったのである。


 高村さんは原発が科学技術の問題としてではなく、「政争の具」となったことが原発問題を捻じ曲げてしまったと指摘しているのも、そのとおりだ。
 無資源国の日本にとって、原発は代替エネルギーの切り札だった。それゆえ、国策として原発の安全神話がまかり通ったのである。原発誘致賛成か反対かは、政治的イデオロギー次元の問題としてとして利用された。 
 民主党最高顧問で福島県選出の渡部恒三氏は通産相(現経産省相)当時、福島原発立地を大々的に宣伝している。「原発で死んだ人はは1人もいない」とも国会で答弁している。旧竹下派の7奉行の1人として原発誘致、安全性の旗を振った過去を考えると、国会で原発事故で避難させられた県民の心情を代弁する渡部氏の姿が、どうしても皮肉に見えてしまう。

発電コストの虚実

原発推進の理由に挙げられるは、安定供給、経済性、環境問題だが、このうち、経済性で最も強調されるのは発電コストの低さである。次の表は経産省資源エネルギー庁の試算だ。試算は1985年、92年、99年と3回見直しが行われ、現在4度目の見直しに着手している。

★資源エネルギー庁による電源別発電原価の試算

電源

従来の試算単価(単位:円/Kwh)

99年見直しによる単価

85年
試算

92年
試算

試算条件

99年
試算

試算条件

出力

設備利用率

耐用年数

出力

設備利用率

運転年数

一般水力

13

13

1〜4万Kw

45%

40年

13.6

1.5万Kw

45%

40年

石油火力

17〜19

11

60万Kw4基

70%

15年

10.2

40万Kw

80%

40年

石炭火力

12〜13

10

60万Kw4基

70%

15年

6.5

90万Kw

80%

40年

LNG火力

16〜18

9

60万Kw4基

70%

15年

6.4

150万KW

80%

40年

原子力

10〜11

9

110万Kw4基

70%

16年

5.9

130万Kw

80%

40年

この表で注意したいのは、99年試算では、寿命を40年に引き上げ、稼働率を80%と、事実上のフル運転を想定していることだ。現実には原発建設は容易ではなく当然コストも嵩む。また原発を取り巻く環境を考えると、40年にわたって運転を続けられるかどうかも疑問。老朽化によるトラブル、さらに事故による停止が頻発している。

この資源エネルギー庁の試算に対し、電力各社から出された申請書の発電原価計算は次の表のとおりだが、エネ庁試算よりも発電コストが高くなっていることに注目したい。エネ庁の試算の原子力59/kwhは、各電力ではばらつきはあるが、各社の申請に比べると相当低く見積もっていると言わざるを得ない。

★原子炉設置許可申請書に記載された発電源原価

電力会社

原発名

運転開始年

発電原価

北海道電力

泊2号

91年

14.3

東北電力

女川2号

95年

12.3

東京電力

柏崎刈羽2号

90年

17.72

柏崎刈羽3号

93年

13.93

柏崎刈羽4号

94年

14.24

柏崎刈羽5号

90年

19.71

中部電力

浜岡4号

93年

13.87

北陸電力

志賀

93年

16.58

関西電力

大飯3号

91年

14.22

大飯4号

93年

8.91

四国電力

伊方3号

94年

15.06

九州電力

玄海3号

94年

14.7






















損害補償を巡る駆け引き

 
今度の福島原発事故に対する補償について
原子力損害賠償紛争審査会は損害賠償の目安となる第一次指針をまとめたが、補償対象は「政府指示による損害」「航行危険区域の損害」「出荷制限などの損害」に区分、それぞれについて具体的な指針を明示した。注目されるのは、身体的・精神的損害の提示だろう。捉え方では、最も計算しにくい損害だけに、かなりの長期的な問題として尾を引きそうだ。
 枝野官房長官は、東電に対し速やかな賠償金の仮払いをするよう促した。補償総額は3兆〜4兆円とも言われている。枝野長官は東電の補償に「上限はない」と厳しく言い渡している。東電の解体、国営化さえ公然と取り沙汰されているが、あらためて思うのは、企業責任とは何かという根源的な命題である。
 もちろん、原発立地は国策として進められてきたのだから、責任をひとり東電に押し付けていいわけではない。国の責任は事業者以上に問われなければならないかもしれない。ただし、国の責任は行き着くところは税金、電気料値上げという形での国民負担である。そこをしっかりとわきまえた上で、東電の責任を明確にしなければ、本質的な問題解決とはならない。国民も納得しないだろう。

東日本大震災の復興に要する資金は天文学的な数字になるかもしれない。その耐えがたい痛み、教訓を生かすためにも、将来を見据えたこの国のあり方、エネルギー政策を考えなければならない。

(尾形宣夫ホームページ「鎌倉日誌」)