雑記帳

2011年4月28日

◎財界首脳が異例の首相批判(ブログ)

 日本経団連の米倉弘昌会長と経済同友会の長谷川閑史代表幹事が相次いで、菅首相の大震災対応を厳しく批判した。
 米倉会長は「間違った陣頭指揮は混乱を起こすもとだ」と語り、後手に回った風評被害対策や産業界に対する性急な節電要請にも不快感を表した。
 一方の長谷川代表幹事は、産経新聞のインタビューに対し「(震災対策は)全体的にスピード感がない。誰が責任を持って決めているのか不透明だ」と痛烈に批判している。長谷川氏はさらに、菅首相のリーダーシップについても「修羅場をくぐってきた人たちはリスクへの対応も機敏、かつ果敢にできるが、そういう経験のない人が大きなリスク対応を迫られたときには、自信を持って判断ができない」と述べている。
 さらに「自分なりの的確な判断ができる情報を集め、自分の価値判断基準に照らして情報を集め、それに基づいて判断ができることが意思決定者の条件だ」と強調したという。
 まさしく、その通りである。

▽国家戦略という名の財界排除

財界首脳が時の政権に「物申す」ことは異例だが、民主党政権誕生以来政界と経済界の関係は旧政権当時のようにはしっくりいかなかった。というのも、突然政権が転がり込んでできた民主党政権の基盤は日本労働組合総連合会(連合)で、経済界とのパイプを持つ政治家はいない。伝統的に保守政権を支えた財界にとって、保守、革新、リベラル派が混在した民主党は、率直に言って物分りのいい政党ではない。
 政権交代後は両者は定期的に会合を持つなど関係改善は進んだが、政権側から経済界に秋波を送ることはなかった。なかったというより、そんな知恵はなかったと言った方がいい。首相の言葉を引用すれば「仮免内閣」には、そうした知恵も力もなかったのだ。

 両者の関係を特徴的に表すのは、小泉内閣当時に財政運営や予算編成に強い影響力を発揮した経済財政諮問会議2009年の鳩山内閣の発足で機能を停止、代わって「国家戦略室」(翌年に国家戦略局)が発足させたことである。
 諮問会議は首相が議長を務め、官房長官、内閣府特命担当相(経済財政政策担当)、財務相、総務相、経済産業相、さらに日銀総裁が議員となり民間議員として財界と学者から各2人が選ばれている。
 諮問会議は、構造改革を進める上で必要な規制の在り方を改革する「規制改革会議」とともに、規制改革の両輪と呼ばれ、経済の実体を審議する内閣と民間を結ぶ重要な接点だった。
 つまり、経済財政政策、規制改革全般に目を光らせる機関が政権交代で姿を消し、名称は重々しいが具体的な役割と実体が不明な「国家戦略」という名の新しい組織が誕生、これまでの内閣と民間を結ぶラインが切れてしまったのである。
 政界と財界の「蜜月」を断つのは、庶民感覚すれば好ましい。
 だが思い出して欲しいのは、民主党政権が目指した政治手法が「脱官僚依存」と同時に、経済界との関係にも距離を置こうとしたことだ。いずれについても民主党政権が言う「政治主導」を定着させるためには、政治スタイルを旧来の「馴れ合い」を断ち切って、新しい政治の仕組みをつくりあげる狙いがあったからだ。

だが現実はどうだったか。「脱官僚―」は霞が関官僚の行政意欲を削いでしまい、各府省の連携が弱体化、首相官邸への情報集約のパイプも塞がった。官僚の地ならしの上にあった閣議を政治の手に戻そうとした事務次官会議の廃止は、逆に首相官邸の霞が関統率を難しくするという反作用を招いてしまった。
 また、官僚の天下りを禁ずる公務員制度改革は、具体的な成果がないまま今日に至っている。「脱官僚」が、単なる掛け声だけだったということだ。

▽東電問題での不信感

昨年6月誕生した菅内閣は、鳩山前首相の友愛路線から離別、「強い経済」を志向する現実論に軸足を移した。理想論を振り回す鳩山首相との違いを際立たせようとする菅路線の確立を狙ったものである。
 菅首相は経済重視を、具体的に新成長戦略として取り込み日本企業の海外戦略強化の基盤として法人税引き下げを確約し、経済界との協調に踏み出したのである。経済界にとって、法人税率を先進諸国並みに引き下げ、国際競争力の強化することはここ数年来の要望だった。
 経済志向、財政再建路線の菅内閣に経済界は異論はない。にもかかわらず財界首脳からストレートな批判が出るのは、民主党政権に対して抱いている不信感を払拭できないからだ。
 これに加えて財界が抱く疑問を膨らませたのは、東日本大震災に対する菅内閣の対応の鈍さと、原発事故を起こした東京電力の責任問題と今後について政治が「必要以上に言及」していることである。
 補償問題での責任の取り方次第では東電は債務超過、経営破たんになりかねない。東電の分轄化、原子力の国有化論が永田町でまことしやかにささやかれていることに対する不満である。

 こうした内閣への不信・不満をさらに助長させたのは、原発事故で東電の電力供給能力が低下したことによる「計画停電」だ。計画停電は東電が政府と調整のうえで実施に踏み切ったが、実体は東電任せだったため国民の日常生活はもとより、経済活動に大きなしわ寄せを及ぼす結果となってしまった。
 そもそも計画停電は、電力消費が供給力を上回って予想される最悪の大停電を想定して踏み切ったのだが、停電による影響を想定しないままの実施だった。本来なら、停電がもたらす国民生活や経済活動への影響シナリオを描いた上で踏み切らなければならないのだが、政府はこの重要な問題を見過ごし東電に丸投げした。
 さらに未曾有の大災害が腰折れ状態の景気に与える影響についても、政府は日銀に追加的な金融緩和措置を取らせただけである。本来ならば、2011年度予算案の組み替えを含めた大胆な緊急経済対策を取らなければならない場面だった。そのタイミングが目の前にありながら首相は何ら指示を出していない。政権の責任は危機に際してどのような決断を下すかなのだが、ここでも内閣の顔は見えなかった。
 これ以外にも、福島原発事故の地域住民の避難範囲を、具体的な対策がないまま一方的に通告して住民を混乱させたり、原発事故対応の不統一ぶりは明らかだったし、首相が責任追及に「間違いはなかった」と、どんなに言い張っても自己弁護としか聞こえない。

▽復興構想会議は何をなす

首相は、各界の識者を集めた「大震災復興構想会議」を立ち上げた。「いくら本部や会議をつくれば気がすむんだ」と西岡参院議長に叱られながらのスタートだった。この構想会議の五百旗頭議長(防衛大校長)が、初会合後の会見で「震災復興税」構想を打ち出した。構想会議議長が、こともあろうに早々と新税構想をぶち上げたのである。議長の唐突な提案は、2回目の会合で参加メンバーの異論が続出して事実上撤回された。
 「震災復興税」という名前はともかく、財源論を議長に吹き込んだのは霞が関の官僚である。財源論はいずれ消費税引き上げに結びつくのは間違いない。昨年の参院選で消費税発言をして惨敗を喫した首相だが、いまだに消費税が頭から離れていないようだ。
 財界首脳から見れば、震災復興の財源問題でも首相の腹のうちが理解できないのは当然だ。いわゆる、重大案件にもかかわらず首相が切り出す考えは、問題の本質を詰めたものとなっておらず、政治的にも方向性を示せるような説得力が欠けているからである。
 経済界にはこのほか、首相の外交感覚に対する不信や、地方分権改革で財界が地方分権改革推進委員会に送り込んだ丹羽宇一郎委員長(伊藤忠元会長、現中国大使)の提言、勧告が事実上棚上げ状態となっていることへの不満もある。
 日本経団連会長や経済同友会代表幹事の首相批判は、政権交代以来のこうしたもろもろの問題が積み重なって飛び出したのである。
(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)