2011年4月15日

◎日本の実相を暴いた大震災(ブログ)

 マスコミ流に言えば、世間を驚かせた出来事は発生から1週間とか、1カ月、半年、1年といった区切りのいいタイミングで、その問題の経過をたどりながら検証したり、さらにこれからを展望するのが常である。東日本大震災から一カ月が過ぎたが、未曾有の惨事をもたらしたこの大震災は私たちの日常だけでなく、政治、経済、行政など様々な分野で日本の「実相」を暴いたのではあるまいか。

便利さに慣れた生活を送りながら、一方で各地で毎年、防災訓練を繰り返しながら自然災害への備えを忘れまいとするのは、地震列島といわれ四方を海に囲まれたわが国の地理的特性からくるものである。
 にもかかわらず、地震、津波に対するある種の甘い考えから抜け出せないでいるうちに、とうとう想像も出来ないような地獄絵図が現実のものとなってしまった。マグニチュード90の巨大地震、東日本の太平洋沿岸各地を襲った大津波が「想定外」の自然災害だったとの指摘はその通りかもしれないが、二次災害となった福島第一原発の事故とその後の放射性物質の拡散を、同じように想定外だからと片付けることはできない。

既に各方面から指摘されているが、福島原発事故は初動の遅れとそれに伴う対応のまずさで「人災色」が濃いことは間違いない。不可抗力の事故だと片付けられたのでは、いつ我が故郷に戻ることが出来るか不安をかこつ被災・避難者は救われない。

今度の未曾有の災害に対し、世界百数十カ国・地域から支援の手が差し伸べられた。
 政府開発援助(
ODA)大国のこれまでの援助に応えた途上国からの「今度は私たちが助ける番」といったものから、航空機・艦船を含めた軍部隊の派遣や原子力事故の専門家を送り込んできた米国やフランスなど、単なる災害援助というよりも原発事故に対する各国の政治的関心の高さが強力な支援につながったと見るべきだろう。

特に先進国や主要国の支援・援助には、日本が今度の危機をどう切り抜けるのか、その政治手法や政策動員を確かめる意味合いも込められていると受け止めなければならない。外交とは、善意と思惑が渾然一体となった厳しい側面を持っていることを忘れてはならない。

国と電力業界の連携による原発の「必要性と正当性」を振り返ってみると、日中戦争や太平洋戦争当時のノモンハン事件関東軍の南方転進と奇妙に符節が合う。
 つまり、米国の庇護の下にありながら経済大国への道を突き進んでいた、無資源国の日本にとって原発はエネルギー政策上不可欠で、国のエネルギー政策上、原発立地はある意味で国是でもあり、そのための組織も整備された。この国、業界を挙げての推進態勢は、もちろん原発の安全性を前提にしてはいたが、原発の危険性を脇に追いやる強引さを持っていた。

ノモンハン事件は満州国を建国した日本が、満州国の権益保持のため旧ソ連の強大な国力、装備を無視した関東軍の無謀で独善的かつ泥縄式な作戦だった。
 関東軍主力の南方転進との共通点は、太平洋戦争遂行に必要な資源確保と戦略拠点づくりのため、ソ連・満州国境でのソ連の脅威を感じながら日ソ中立条約を過信して、敢えてソ連の脅威に目をつぶるという希望的判断から下されたものだ。ソ連への不信がありながら、「越境侵攻」を考えたくない大本営の「期待感」がそうさせたのである。
 有り体に言えば、ノモンハン事件も関東軍の南方転進も軍部のおごりと状況判断の甘さが根底にあったし、同じことが原発事故でも言えるが、特に原発の安全神話を強調し続けた国と東電にとって、事故は「触れたくない」「考えたくない」ことだった。それが、原発施設の設計・構造、安全基準のより一層の強化につながらなかったのではないか。

被災地、被災者のことを想うといまだに心が痛む。
 だが、大震災は私たちが忘れかけていた絆が蘇り、それこそ国民全体が心をひとつにした。その姿に世界は驚きと賞賛を送り続けている。

 地震、津波で瓦礫と化した宮城、岩手、福島県沿岸域の町々は、ようやく復興に向かって歩み始めた。瓦礫の町を目の前に地元に残った老いも若きも、また隣県や遠く関西方面にまで仮の住まいを求めた避難者たちも、故郷の復興を祈っている。

ところで、その故郷が復興するのはいつのことか。
 地震、津波に加えて原発事故に見舞わられた
福島県県民は自主避難を余儀なくされ、遠い異郷で不安で不自由な生活を強いられている。政府が指示した避難地域は拡大される一方で、放射性物質の拡散・汚染で野菜類や原乳の生産・出荷は出来ない。収穫された原乳は捨てられ、野菜類も朽ちるに任せたままだ。まるで、中山間地において、農作業を続ける者がいなくなった「耕作放棄地」を見る思いである。

そんな現実を知ってか知らずか、菅首相は福島第一原発周辺の避難対象区域に「当面住めないだろう」と側近に語った話が広まった。例によって、首相の不用意極まりない発言だが、反響の大きさに驚いた首相は「俺は言っていない」と否定した。この発言は被災地福島県民を怒らせたのは勿論だが、政府、与野党も問題視、首相の適格性を問う声が高まっている。

こんな中で、大震災復興構想会議の初会合が14日、首相官邸で開かれた。首相は被災県の岩手、宮城、福島3県知事が出席した初会合で「元に戻す復旧ではなく、創造的な復興案を示してほしい」と求めた。会議は6月をめどに、災害を克服する地域社会の未来像や産業再生ビジョン、必要な立法・予算措置などに関する第一次の提言をまとめることにしているが、統一性を欠いた政府の震災復興態勢が機能するかどうか不透明だ。
 それと、統一地方選の後半戦が済めば、永田町、霞が関は一気に政局に動き出すことは間違いない。そうした状況下で、菅内閣の震災対策が機能するかどうか予測できない。統一線前半の大敗で民主党内は、静まりかけていた党内対立が噴出する可能性は高い。震災対策と政局―政治のリーダーシップが欠かせない正念場を迎える。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)