雑記帳

2011年3月24日

◎『卒業』『再会』『絆』(ブログ)

 3月は別れと旅立ちの時期である。
 卒業、進学、社会人へとそれぞれの新しい人生が始まる。別れにも旅立ちにも、それぞれの感慨はつきものだが、東日本大震災に襲われた被災地でのそれは、あまりにも悲しい。思わず涙してしまった。

 宮城県気仙沼市の階上中学校の卒業式で、答辞に立った卒業生代表が大津波に襲われた時の様子を泣きじゃくりながら読み上げた。毎年、一生懸命避難の訓練をしたが何もできなかった。目の前で家が、人が、すべてのものが津波の濁流に飲み込まれ姿が消えた、そんな信じ難い光景が答辞を読み進むうちに蘇ってきたのだろう。
 生徒たちの後ろに立って参観する父兄たちは皆、目頭を押さえながら答辞に聞き入っていた。すすり泣く声がテレビの画面から聞こえてきたような気がした。その中に、卒業するはずだった息子に代わって証書を受け取った1人の父親がいた。不動の姿勢でまっすぐ前を見ていたが、その目には大粒の涙があふれ頬をつたっていた。心境はいかばかりだっただろうか。
 晴れの門出を祝うはずの卒業式の会場が沈痛な送別の場となることを、誰が想像しただろう。階上中は国道45号とJR気仙沼の線路をまたいで、長磯浜まで直線距離で約5`。どうにか大津波の牙は届かなかったが、町は高台を除いてほとんどが瓦礫と化した。

 涙を誘うような光景はいくつもあった。広い体育館に寄り添うように座る多くの被災者たちは、語るでもなくその目はどこか遠くを見ているようだった。母親に抱かれた幼児が時折見せる笑顔。その顔をじっと見つめる母親は、いとおしそうに我が子を抱きしめ頬ずりしていた。
 別の避難所では、子どもたちの気を紛らわせようと用意したのだろう。遊び場ふうの空間をつくり、そこで子どもたちが少しばかりの玩具を使って楽しそうに遊んでいる。子どもたちの遊ぶ姿が、惨事の光景とはあまりにも違いすぎる。被災のある小学校では再会できた喜びを全身で表す子どもたちの姿が映し出されていた。屈託なさそうな子どもたちだが、心の傷は深くて大きいと、疲れた表情のひげ面の校長が語る。
 南気仙沼中学校の卒業式で一人ひとりに手渡された卒業証書には、泥に汚れた証書が数多くあった。卒業式の前日まで、教師たちが汚れをふき取ろうとしたが滲みは消えなかった。卒業生を送る壇上の校長は「卒業証書の汚れは、皆の町を襲った大津波の記憶として、決して忘れないでください」と語り掛けた。

 被災地には少しずつだが、復旧に向けた住民たちの負けん気が表われ始めている。
 大人たちに混じって手伝う中高生の気丈な姿が周りを元気づける。全国から寄せられる救援・支援もどうにか被災地に届くようになった。道路、港湾の一部が使えるようになり、輸送手段が動き始めたからだ。だが、まだまだ十分ではないし、「忘れられた被災地」も多い。そこにはまだ、暖かい手は届いていない。

 被災地の道路の瓦礫の片付けも進んで何とか車が自由に走られるようになったが、その周りの瓦礫の中から思い出の物を探し出そうとする被災者の姿は、震災から2週間も経とうという今でもあちらこちらで見られる。

 一方で、福島県から首都圏にかけて福島第一原発事故の影響が、日を追うように広がり始めている。
 原発からの放射性物質の拡散は、野菜、原乳の摂食・出荷停止から飲料水汚染にまで至った。スーパーなどの店頭からペットボトル入りの天然水が消えてしまった。大人には影響はないとはいえ、放射性物質という目に見えないものへの恐怖を、理屈で説得しようとしてもできるはずはない。

 風向き、雨がもたらしたなどと馬鹿なことを言う声もある。が、すべては原発事故に始まる恐怖であり、今に至るまでの東電と国の情報伝達のお粗末さ、隠蔽体質が住民の不安を膨らませたのである。

 私の親友で福島県の地元紙の編集幹部は「これでは手が回らない」と、想像を超える被害拡散にお手上げの状態だ。「とにかく、汚染はないと言っても『福島産』というだけで入荷を断られるから、生産農家は作物を処分するしかない」らしい。ただでさえ高齢化が進む農村地帯だ。今回の事故で生産意欲がさらに減退することが心配されている。さらに、福島県は有数の果樹生産県でもある。幹部氏は風評の真っ只中の福島市で、自らを勇気づけながら現実を見る毎日だと言った。
 第一原発が廃炉となるのは避けられない。さらに、東電が同県双葉郡 富岡町楢葉町に設置している第二原発4基(総出力440万キロワット)の扱いがどうなるか。福島県の浜通り地方は東電の原発銀座だ。もちろん主な供給先は首都圏である。原発銀座が「原発の墓場」にならないとは言い切れない。
 こんなに被災地が追い詰められているにもかかわらず、国と東電の地元に対する救済・支援の具体策は見えてこない。菅首相は避難地危機の拡大、農産物の摂食・出荷停止を言うだけで、それに対するバックアップ態勢を示していない。県内外への避難も、ほとんどが自主避難で、国も東電も何ら便宜を図っていないという。
 自治体同士の連携が具体化している中で、内閣だけがひとり機能していないという、あり得ない現実をさらけ出している。悲しいかな、危機管理の「き」の字もないのが菅内閣の実体だとしか、言いようがない。

 そんな中で春のセンバツが始まった。最大の被災地の仙台から東北高校が出場する。選手たちは被災地域でボランティアとして手伝い、出発前の練習はしていない。甲子園の熱戦開始に先立って、選手宣誓に立った創志学園の主将は「生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーします。がんばれニッポン」と熱く宣誓した。
 大震災から立ち上がろうとする全国の支援・想いに、私たちが忘れかけていた「絆」が生き続けていたことを喜びたい。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)