雑記帳

2011年3月2日

【絶対国防圏】(ブログ)

◎前門の虎、後門の狼

ほとほと愛想が尽きた。こんな内閣はかつてあったためしがない。「3本指」を示して付き合いを迫った女性スキャンダルでわずか69日間の内閣の首相はいたが、政権運営でこれほど迷走した首相はいない。

今国会の最大の懸案である新年度予算案は、関連法案と切り離して参院に送られた。野党がどんなに抵抗しても、予算案は参院送付から30日で自然成立する。だが、予算関連法案がなければ、予算案が可決、成立してもその執行はできない。つまり、新年度予算は関連法案がなければ「絵に描いた餅」でしかない。新年度予算案は2年続きで税収を上回る国債を発行しなければならない。肝心の財源手当ての見通しがないまま、首相は何をしようというのだろう。
 衆参のねじれ状態を考えれば、首相は自ら言っているように「熟議」を徹底すべきだった。にもかかわらず、首相がやったことは「政治とカネ」で小沢元代表を追い詰めることに終始した。自分が政治の世界に身を投じた原点を披露しながら、脇目も振らず小沢追及に突っ走った。一方で、予算編成を急ぐ理由を盾に臨時国会を早々と閉じ、およそ熟議とは懸け離れた政権運営を続け今の通常国会を迎えている。

悪いことは重なるものだ。尖閣諸島海域での中国漁船の衝突事件、メモを見ながらの日中首脳会談、ロシア大統領の国後島訪問など、内政の弱さを取り返すはずの外交面での失点は、内外の菅首相の政権運営に対する不信、侮蔑さえ招いてしまった。
 そして、どうにかこぎつけた小沢元代表の処分も不評を買い、野党も与党の足元の弱さを突くように首相の優柔不断をこき下ろした。

内閣と民主執行部のブレと決断できない実体を改めて見せつけたのが、新年度予算案を可決した1日未明の衆院本会議を欠席した造反16議員に対する処分である。リーダー格の渡辺浩一郎氏を党員資格停止6カ月としたが、残り15人は厳重注意で終わった。
 だがこの処分は、造反発覚以来の内閣、党執行部の不快感と「重大な党議決定違反」という判断からすれば単に政治的なけじめをつけただけで、本気で処分する気があったとは思えない軽いものだった。
 執行部とすれば、もっと強い処分をしたかったはずだ。だが、できなかった。もしやれば、ただでさえ対立と不協和音が広がっている党内に新たな爆弾を持ち込むようなもので、行き詰まり感が高まっている菅内閣を一段と窮地に追い込むと判断したからだ。執行部としては、強気に出たくても出られなかったのである。
 菅内閣は、衆参両院に切り離された予算案と予算関連法案の審議を続けていく上で、論客ぞろいの参院野党の攻勢を正面から受け止めながら、足元の小沢系議員の一挙手一投足に気を遣う綱渡りのような政局に立ち向かわなければならない。各府省の副大臣、政務官の動向、それと造反議員の第2弾があるのかどうか。まさに、「前門の虎、後門の狼」である。

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昨夜、不思議な夢を見た。
 菅内閣のとどまるところを知らない迷走と、太平洋戦争で戦略拠点の要衝が次々と米軍の手に落ち、沖縄戦を経て敗戦に至る、何とも悲惨な歴史が二重写しとなった夢である。




 菅内閣の様相は太平洋戦争末期の大本営の対応に似ている。拡大しすぎた戦線が米軍の反攻でじりじりと後退し、守勢に立った日本が決めたのは、本土防衛上、戦争継続のためにどうしても必要な領土・地点を定めた絶対国防圏(写真参照)だった。だが、この国防圏は米軍の猛攻に耐え切れず次々と打ち破られ、遂には沖縄が米軍の手に落ち、広島、長崎に原爆が投下され、日本はポツダム宣言を受諾し終戦を迎えた。
 菅内閣が次々打ち出すマニフェストの見直しは、まさしく大本営の国防圏の後退に似ている。子ども手当、高速料金の無料化、普天間飛行場の県外移設といったマニフェストは、例えるなら当時の日本が掲げた大東亜共栄圏であり、この圏域を囲むのが国防圏だった。

1941(昭和16)年12月のハワイ・真珠湾攻撃に始まる日本軍の連戦連勝に国民は狂喜した。民主党政権の誕生にも国民は、諸手をあげて新しい政治のスタートを夢見、期待した。歴史的政権交代は、自公政権に辟易した国民の気持ちが働いたことは確かだが、民主党の華々しいマニフェストの魅力に吸い込まれたようにして実現したものだ。
 開戦当初の旧日本軍の勝利に国中が沸いたように、マニフェストの一つひとつの項目は国民の期待を膨らませた。心配される財源は「無駄な予算を総ざらいして賄う」と胸を張って約束した。たった1年半前のことである。

(尾形宣夫のホームページ「鎌倉日誌」)